内なる就職活動 | 魂の世界に生きる

魂の世界に生きる

私が内なる世界と呼んでいたものは魂の世界だった。

お金は何時の間にか集まっているものであり、後から自然と付いて来るものだと考えます。

 

その為に必要な事があって、それが所謂“仕事”です。

 

私が自覚している中で唯一の不満であり、未だに完全な答えを見出だしていないのがこの“仕事”です。

 

「自分の事は何でも自分だけで満たせる」と考えていて、それが実現可能な事実としていながらも、自分のみで成し得ていないのも“仕事”です。

 

お金がその“仕事”さえしていれば勝手に付いて来るものなら、私はこの“仕事”について答えを求めれば良いはずです。

 

「お金の事はすっ飛ばして、その“仕事”のみを集中して求めれば良い」という事です。

 

どのみち私はその“仕事”が何か分からないままでは、幾ら稼いでも満足出来ないでしょう。

 

本当に無いのはお金ではなく、私が本当に不満を抱かずに「これなら生涯続けられる」と自然に思える“仕事”なのでしょう。

 

 

 

何処にその“仕事”が有るのか?

 

それは私の中です。

 

外に仕事を探すのではなく、私の中で仕事を探すのです。

 

「他は全て内に在るのに、“仕事”だけが外に有る」というのは有り得ません。

 

“仕事”を求めるのも他人に向かって求めるのではなく、自身の内に向かって求めるべきです。

 

全てを内に見出だして来たのに、この事に気付かなかったのは「不覚だった」と言わざるを得ません。

 

 

 

私は全て自分で出来る事が証明されなくては気が収まりません。

 

もちろん、その証明すべき対象も私自身です。

 

私にはそれが出来るはずです。

 

…と言うより、それしか出来ないはずなのです。

 

社会に全く馴染まない理由は、「自分の事は自分で何でも出来てしまうから」のはずです。

 

その証明をする為の第一歩が内に仕事を求める事です。

 

 

 

私は今、外の世界で言うところの就職あるいは転職活動に当たるものを自らの内で行っています。

 

この試みは初めてであり、「私の中で“仕事”が見付かりました」という経験も無い為、結果がどうなるかは完全に未知数です。

 

せめてもの明るい材料は「理論的には完璧に正しい方法である」という一点のみです。

 

「外に求める事が無意味である」と染み付いている以上、私はこの“内なる就職活動”をするしか無いのです。