私は金持ちはいけ好かないし、何ならムカつくと言っても良いです。
それが金持ちに対する素直な反応である事を認めます。
しかし、よくよく考えてみると金持ちの何がいけ好かなくてムカつくのか分かりません。
そして、同時にそこで金持ちの本質、あるいは要素に触れているような気がします。
金持ちが持つ要素を感じ取ってそれを「いけ好かない」と言っているなら、私の中に“金持ち”が在る証拠になり得ます。
今感じているものは気分が良いものではありません。
積極的に求められるようなものではなく、「なるほど、これなら金持ちになろうとはしないはずだ」と思います。
「分かりそうで分からないが、それを知れば答えだと分かると思う」というところまで来ています。
“金持ち”そのものかどうかの確証はありませんが、“金持ち”である事を否定している原因ではあるでしょう。
それが故に「私は“金持ち”ではない」としているなら、その原因を取り除いた私はどうなるのでしょうか。
「私は“金持ち”だ」という事になるでしょうか。
明確に否定していたものが今では曖昧になっています。
「私が“金持ち”である可能性がそれなりに出て来ている」と思っても嘘にはなりません。
「“金持ち”に感じる要素を持っているか否か」という点で見るとさらに可能性が高まります。
「その要素を持っていれば“金持ち”だと言える(これが私の“金持ち”だ)」という結論に至れば、その時私は“金持ちに”成るでしょう。
「最初から“金持ち”だった」がより正確でしょうか。
まさに「最初からそこ(“金持ち”)に居た」と言えるのです。