何らかの“価値” | 魂の世界に生きる

魂の世界に生きる

私が内なる世界と呼んでいたものは、魂の世界だった。

今日はさしたる進展は見えなかったと思います。

 

強いて言えば“価値”という言葉にそこそこ強い反応が見えた程度です。

 

「何もしなくて良いのは、そういう価値が有るからだ」と考えると筋道が通りそうに思えますが、ちょっとこれはこじつけが過ぎるかも知れません。

 

やはり感じ切る事が必要になるでしょう。

 

その姿勢は歓迎されているように感じます。

 

きっとそういう事なのでしょう。

 

 

 

何時にも増して短いですが、今日はここで終わらなくてはなりません。

 

感じるものも強くなっています。

 

ともかくその声に入り浸りたいのです。