何もしなくて良い理由を求める | 魂の世界に生きる

魂の世界に生きる

私が内なる世界と呼んでいたものは、魂の世界だった。

何もしない事をひたすら称賛していると、段々と「何もしなくて良い」と言っているように感じ始めました。

 

確かに今では「何もしない」よりは「何もしなくて良い」の方が正確に思います。

 

感じているものもそれに応えるかのように反応の強さと形を変えています。

 

「何もしなくて良い」という言葉を繰り返す度、そこに近付いて行っているかのようです。

 

 

 

私はそこに理由となる自分の存在を疑います。

 

「自分は○○だから、何もしなくて良い」という感じです。

 

私が何だったら、何もしなくて良いのか?

 

「そういう事を問われて、あるいは答えているのではないか?」と考えています。

 

 

 

反応は強くなりました。

 

こうなるとブログに割く意識も惜しいというものです。

 

反応に意識を注いで入り浸りたいと思います。

 

「何を言っているのか?」が非常に気になります。