“神の愛”という言葉に対する反応を感じ続けると、どうにもセックスが感じられてなりません。
「何となく」というレベルですが、勘違いではないと思います。
神の愛とセックスは同一のものか、同一の方向に在るものと見た方が良いと思います。
そして、その神の愛によるセックスを通してのみ、知り得る自分が居るのでしょう。
神とセックスをする事、神が求める相手とセックスをする事、或いは私は神のセックス相手として相応しいか否か。
そこに神の愛について読み解く鍵があると見ます。
私が「神とセックスしたい」と思うなら、神も「私とセックスしたい」と思っているはずです。
本当にそう思っているのなら、私の前に神を感じさせるような人を遣わせて、その人を通じて私とのセックスを実現させるでしょう。