感じる事の本質へ | 魂の世界に生きる

魂の世界に生きる

私が内なる世界と呼んでいたものは魂の世界だった。

何か見たいものでもあるのか、それとも「自分は“見たい”である」のか、それを突き止める為にもしばらくは「見たい」に留まる事にします。

「見る」じゃなくて「見たい」なので、やっぱり何かを見たいのではないかと思います。

今は「見たいだけが在る」という感じですね。

これを辿ればやがて別の言葉に置き換わるのかも知れません。

その言葉を発見出来たなら、「それは感じる事や見る事の本質だ」と言えるでしょう。

後はそれとして在るだけで感じる事すらしなくて良いのなら本当に楽な話です。



この推察が正しいなら、先ずは「見たい」が別の言葉に変化するはずです。

そうなると、私は変化する前から「変化する事を知っている」という事になります。

ある意味、「その未来まで見えている」という事になるのです。

「ここにも私が何者かを示すヒントがあるのではないか」と思います。