“神”だとしか思えないので、自分を神だという事にしておく」…というわけにはいきません。
神なら神と、う○こならう○こと、ハッキリさせなくてはなりません。
「ハッキリさせる」とは、「そうである事を悟る」という事です。
悟る為には切っ掛けが必要です。
私の中の神と私の外の神が一致する瞬間が必要なのです。
愛を悟る為に、私の中の愛と私の外の愛(Iさん)が一致する必要があったのと同じです。
何に神を見るかは分かりません。
道端に転がる石ころかも知れませんし、最近私の部屋に頻繁に出没するゴキブリかも知れません。
私が本当に“神”であるならば、私の中の神と同調する何かを外で見る(感じる)事が出来ましょう。
その時「私は神だ」と悟るでしょう。
同時に、感じた対象も神である事を悟るでしょう。
感じているものを読み解くにはまだ時間を要します。
私は基本的に「私の解釈は間違っているかも知れない」という前提でいますので、疑う余地が無くなるまで疑い続ける必要があるのです。
「“神”だ」とするにはまだ内的根拠が足りません。
それでいて、「現状では“神”が最有力候補」とも思っているのです。
この状態が最も楽しくもあり、最ももどかしくもあるのです。