一瞬「“神”かな?」と思いました。
神なら個の次元だって超えているでしょう。
“全て”や“光”や“宇宙意識”を示すものとしても一応は辻褄が合わない事もありません。
しかし、「感じているものが本当に“神”と言っているのか?」と問われると、ハッキリと「そうだ」とは言えません。
単なる辻褄合わせや思い付きでしかありません。
私は神だろうが何だろうが何でも良いです。
例えば感じているものが“う○こ”と言っているのならばそれは神よりも重要な事です。
私にとって今感じているものは「神ですら超えている」と言って良いのです。
ただし、感じているものが本当に“神”だった場合は話は別です。
その場合、今の私にとって“神”以上に重要な事はありません。
感じているものが“神”だった場合、「感じているものが何であれ、それは自分である」という私の法則に乗っ取って私は神となります。
それは私だけの神、私にとっての唯一神であり、私がその神として振る舞うのです。
私は愛を感じて「自分は愛である」と自覚した時、「自分にとっての愛は何か」を学びました。
「あくまで私の愛」という限定的な話にはなりますが、愛について多少なりとも語る事が出来るようになったのです。
神も同じく、「“神”を感じている」と自覚出来た時、これまた「あくまで私の神」という限定的なものではあるでしょうが、神について理解し、語れるはずです。
私の中で「神とはこうである」という定義付けが出来ます。
人の身ではその辺りが限界でしょうか。
そもそも、「感じているものが本当に“神”かどうか」という話なんですが、もうしばらく時間を掛けて様子を見る事にします。