“俺”は女性とお金の混合体 | 魂の世界に生きる

魂の世界に生きる

私が内なる世界と呼んでいたものは魂の世界だった。

感じているものは形を変えながらも途絶えません。

これが本当にお金に関する事ならば、お金の事でここまで強く感じている状態が続くのは今までに無かった事です。

大抵三日坊主で日を追う毎に尻すぼみするのが常だったのが、今や「新たな人生の指標」と呼んでも差し支えないものになっています。

幾度となくお金に取り組み、その度に尻すぼみになり続けた理由は、やはり女性を通してのみ知り得る自分を知る事が先に有った為でしょう。

そういう順番を辿らないとお金の本質に辿り着けない理由が存在していたのかも知れません。

「お金を求めた理由が女性だった」と思いきや、その実は「女性を求めた理由がお金だった」のかも知れません。

いや、感ずる限りでは「両方同時、もしくは両方が統合されたものを求めたが、時間の概念があるこの世の次元では片方ずつ手に入れて後から混ぜ合わせる必要があって、その順番も女性が先でお金が後でなくてはならなかった」と言った感じでしょうか。




私が思い描いているものは、「この人さえ居れば良いと思える女性」と一緒に居て、「仕事はこれさえやっていれば良い」と思える事を自宅で好きにやっている現実です。

女性だけを感じていても足りないし、お金だけを感じていても足りない現実です。

ずっと心の中で感じ続けているものは、もしかすると「女性とお金が統合されているもの」なのかも知れません。

女性とお金の混合体を何と呼ぶでしょう?

それが“俺”なのでしょうか?

そこに至る道筋は私の中に在り、今感じているものがその道筋なのでしょう。

目に見えないこの心の道から逸れないように辿り続けていれば、やがて明るみに出る事でしょう。