「私が彼女そのものだ」…有り得るか? | 魂の世界に生きる

魂の世界に生きる

私が内なる世界と呼んでいたものは、魂の世界だった。

私の「それが何であれ、結局は自分自身になる」という信仰は、専ら無形のもの(愛や幸福などの感じるもの)に留まり、有形のもの(人や物など)には適用されないものと思っていました。

しかし、今は「有形のものにも適用されるのではないか」という可能性を見ています。

私の中で1つのパズルのピースが埋まりつつあります。

これが完成すると、他者を自分として認識する私になるかも知れません。

他者と自分の垣根が取り払われ、私が“私”と表現した時、その私の中に他の誰かも同時に含まれる事になるような、そんな予感もします。

その時の“私”は私とその人、あるいはその人達を総称する言葉となります。

もしそうなれば、もはや仲が良いとか、仲間とか、そういうレベルの話ではありません。

1つしか無いはずの自分の身体が複数有るかのように感じられるかも知れません。



Iさんに対して「彼女は自分だ」と思った事は今も忘れていません。

もしかすると、そのままの意味で私はIさんそのものなのかも知れません。

もしそうだとすれば、私は素直に喜びます。