命そのもの、もしくは不死 | 魂の世界に生きる

魂の世界に生きる

私が内なる世界と呼んでいたものは魂の世界だった。

私が理解した愛には「それによって生かされている」という感覚、「これの為に生きている」という感覚があります。

「もしかして自分は死なないのではないか」とさえ錯覚してしまいそうです。

もし本当に死なないのなら、それは生と死からの解放を意味します。

その為に、つまり生きる為にも死なない為にも働く必要がありません。

私が今感じているものは生と死の狭間、あるいは生と死の本質かも知れません。

「大きく間違ってはいないらしい」という事は解りますが、今は正確な事は解りません。

もはや神とか仏とか、そういう次元の概念を引っ張り出さなくては表現出来ないものを感じているような気がします。



それが何であれ、感じているものは「私が何者であるか?」を示しています。

死を感じれば私は死で、不死を感じれば私は不死で、命を感じれば私は命で、神を感じれば私は神で、仏を感じれば私は仏です。

今感じているものはそれらに近いようでもありながら、それらのどれでも無いようでもあります。

今の私は「愛である」という事以外に、私が何者であるかを知りません。

愛ですら過去の私に、新たな私に取っ手変わられるような気配すら感じます。

今感じているものは“愛”では正確に表現し切れないからです。

最終的には「全てである」という結論に達する事は想像出来ても、その全てが意味するものを私は知りません。

今感じているものは“全て”ではないからです。



ここに至っても尚、Iさんに対する想いの本質は少しも変わりません。

彼女は本当に不思議な人です。