自分の顔を愛せるか? | 魂の世界に生きる

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私が内なる世界と呼んでいたものは魂の世界だった。

おそらく、「自分の顔を愛せるか?」という事を問われているのでしょう。

最初の答えは「愛せない」です。

愛せていたら「顔がタイプの人を愛そう」だなんて思いません。

自分を愛せないから他者を愛そうとするのです。

そこまで理屈が解っていて、アプローチの仕方も間違えていると解っていても、愛せないものは愛せません。

これが正直な気持ちです。

愛せない事を受け入れれば良いのなら簡単です。

しかし、「自分の顔を愛する事」がゴールなのだとしたら、今までで1番の難題だと思います。



そう思うに至った経緯は覚えています。

5~6歳の頃ですが、私はそれまで自分の顔を見た事がありませんでした。

「カッコイイに違いない」とかなり期待して、戸棚のガラスに映った顔を見て一気に幻滅したのです。


思った顔と違った。

期待していた顔と違った。

満を持して初めて見た自分の顔が好きな顔ではなかった。


…という事です。

自分の顔にダメ出しをしたのは他でもない、幼き頃の私自身でした。

その時に見た私の顔の第一印象を今もずっと引き摺っているのでしょう。

客観的に見てどんなに不細工だったとしても、それが自分の愛せる顔だったら、自分の期待した顔であったら、何も問題は無かったと思います。



何故モヤモヤするのでしょう。

キッパリと「愛せない」と言っているのだから、そこでスッキリ出来るはずなのです。

本心ではないという事でしょうか。