Iさんについて、1つ認めなくてはならない事があります。
「彼女の何を愛したか?」という点です。
それは見た目です。
顔です。
今まで見た女性の顔の中で1番タイプなのがIさんの顔です。
だから彼女の顔を見たくて堪らないのです。
「顔で選ぶなんて」と思われても、私は顔でしか女性を選んでいないのです。
正確にはその人の顔を見た時の自分の反応を観て選んでいます。
性格や能力や肩書きなんて見ていません。
「可愛いかどうか」も、「綺麗かどうか」も、「美人かどうか」も、「若いかどうか」も関係ありません。
「顔がタイプなのかどうか」と、「顔がタイプならどれだけタイプの度合いが高いのか」だけが判断基準です。
これが無い(感じない)人、即ち顔がタイプではない人を愛する事は今の私には出来ません。
私がその女性を愛する時、その女性の顔を愛しているのです。
まずはその事を認めます。
問題はここからです。
その“愛すべき顔のタイプ”というのは私の中に在るものです。
私の中に潜在しているものが、Iさんを見る事によって顕在化されているのです。
Iさんの“顔”を持っているのは私である。
それを既に自分のものとして持っている。
…という事になります。
後はこれをどう消化するか。
そこが問題です。
対象に感じたものは全て自分のものです。
何故ならば、自分に無いものを対象に感ずる事は出来ないからです。
そう感じる対象は自らが放った光(要素)を反射させているに過ぎません。
“顔がタイプ”というものを感じたなら、「私もまたそうだから」という事に他なりません。
私が理解すべきなのはそこです。
私は鏡を用いてしか自分の顔を見る事が出来ませんが、鏡に映る自分の顔には自信が無いし、好きでもありません。
しかし、Iさんの顔は「これ以上の顔を見付けるのは今生では無理」と思える程好きです。
他者が持つ素直に認める事が出来るなら、私にもその要素を持つ事を認める事が出来ます。
今までそうやって、人に感じた要素を全て手に入れて来たのです。
手に入れた要素は実際に他者の言葉によって、私に返って来ております。
自分で認めた要素は、求めずして他者に認められるのです。
“顔がタイプ”をどう取り込むか。
その理解を深める事が今の私のすべき事です。