気持ちや考え方は建設的になりながら、何処か満たされない気持ちもあり、私はどうして良いかも解らず朝から悶々としております。
私がここまで物事に向き合うのは、今や「本気で人を好きになった時」くらいのものです。
外の世界で何が騒がれていようが、それは私に物理的な影響を及ぼしても、心にまで影響を及ぼす事はほとんどありません。
精々「面倒臭い事になったな」と思う程度です。
Iさんが欲しかった。
先日はその気持ちで一杯で、ただその気持ちだけと向き合っていました。
Iさんは幸せになると思います。
既に幸せなのだと思いますが、これからも幸せで居続ける事と思います。
これは彼女の幸せを願っているのではなく、感じた事をそのまま言葉にしただけです。
「幸せでありますように」と願う気持ちがあるならば、私は「Iさんは幸せではないと感じている」という事になりますが、そう願う気持ちが微塵も無いという事は、「私はIさんに幸せを感じている」という事なのです。
そう感じられている事自体、本来ならば私自身も幸せなのだろうとは思いますが、私が今感じているのは幸せではありません。
幸せかどうかよりも、何かを「解って欲しい」という気持ちを感じます。
腹の辺りにその気持ちが留まっているのです。
私としてはIさんにこの気持ちを聞いて欲しいし、解って欲しいし、受け取って欲しい。
しかし、本当に聞いて欲しい相手、解って欲しい相手、受け取って欲しい相手は私自身であるに違いありません。
何日か前に脳内麻薬の話をしました。
あれは、「欲しかったものが手に入りそうだ」と思った時に多く分泌されるものらしいのです。
ならば、「要らないもの、既に手に入れているもの、手に入らないと解り切っているものに関しては分泌されない」という事ですよね。
「解って欲しい事」は、その何れかだと思います。
Iさんを得る事によって得たかったものは、私にとって要らないものか、既に手に入れているものか、手に入らないと解り切っているものか、それともう1つ、「それ以上に大切なものを既に手にしているか」なのだと思います。
「それを解って欲しい」という事なのかも知れません。 
理解しようとする意思はあります。
昨日の今日で完全に気持ちが落ち着いているわけでもないので、理解するまで時間が掛かると思いますけど。