稲田は楽しい事ではなく、面白い事を求めていました。
改めて感ずれば、「自分は面白いという感覚は理解出来るが、楽しいという感覚は理解出来ない」という事が解ります。
同じ“ド”の音でも、求めている(感知出来る)音階が違うのであります。
そこで、「他の事でも同じ事が言えるのではないか」と思いました。
案の上、稲田は“富”“裕福”“豊かさ”という感覚を理解出来ません。
すなわち、稲田はこの世にそれらを見出す事は出来ず、それらを求め続ける限り、それらとは正反対の“貧困”“貧乏”“欠乏”しか見えなくなるのです。
“楽しい”を求めたら、“つまらない”しか見えなかった事と同じです。
ですから稲田は、自分の感覚にフィットする“富”“裕福”“豊かさ”に類する概念を見出す必要があります。
今日一日はその為に費やされる事でしょう。