ネタは何処だ? | 魂の世界に生きる

魂の世界に生きる

私が内なる世界と呼んでいたものは、魂の世界だった。

この稲田、割と真面目に他人が食い付きそうなネタを考えているのですが、一向に思い付きません。

「これなら食い付きそう!」と強く思えるものは、「自分ならこれに強く食い付く!」と思えるものでもありますが、生憎稲田にはそれが無い。

自分の中に食い付くネタが無いので、他人にもそれを見る事が出来ないのです。



何のネタかって?



記事のネタではなくて、商売のネタですよ。

お金とは人の動きです。

人が多く動くところに、お金はあります。

だから、「これなら人が動く!」ってネタが欲しかったのですが、どれもこれも「自分はこんなんじゃ動かない(=他人はこんなんじゃ動かない)」と思えるものしか思い付きません。

ここに、「自分が欲しがるんだから、他人も欲しがるはずだ」という思い込みが見えますね。

「他人が欲しがっても、自分が欲しがるとは限らない」と解っている事なのに。

「自分がお金を出したくなる事」と、「他人がお金を出したくなる事」は、全く違う事なんでしょうね。

これもまた気付きの一つです。

…となれば、「えっ?こんなモンがお金になるの?」と思える様なものが案外身近に存在するかも知れません。

人を動かす作用が在れば、それが単なる石ころだって良いわけでして。

流石に今の稲田には思い付きませんよ。

そんな事意識すらした事がありませんでしたから。

ただ、塞がっていたものが少し拓かれた感はあります。

これで何かに気付いて、それで自分で商売を始める事が出来たら、それだけで成功ですよ。

売り上げ0だろうが、「今まで微動だにしなかった事をやれた」という現実は確かな満足をもたらすでありましょう。



「自分なら何に動くか(お金を使うか)」という視点からではなくて、「他人は何に動くか(お金を使うか)」という視点から観た方がいいんでしょうかね。

商売とは、自分の価値観(重力)と他人の価値観(浮力)で飛行機を飛ばす様なものなのかも知れません。

浮力を感じるべきなのに、「自分なら何に動くか(お金を使うか)」という重力を感じても仕方無いっちゃ仕方ありませんね。