どうでも良いと思っていたものが、実はとんでもない力かも知れない件 | 魂の世界に生きる

魂の世界に生きる

私が内なる世界と呼んでいたものは、魂の世界だった。

今、「他人の事はどうでも良い」と解釈している感覚が強く出ています。

これが他人に対する本音かと思うのですが、ただ単にどうでも良いわけでもなさそうだし、そもそも本当にどうでも良いと言っているのかどうか、それもまだ定かではありません。

稲田が本日自覚したのは、「自分は自己中の類である」という事です。

「自己中で在るが故に、他人の事はどうでも良いと感じている」と考えても、一応辻褄が合います。

このブログのスタンスからも解る通り、稲田は自分語りに終始して、読む人の事はまるで意識していません。

「貴方の為に」という意識は皆無、在るのは「自分に正直に生きる為に」という意識のみです。

どうも、稲田は他人を自分の為に利用しようとしている節があります。

他人とは、今朝の記事でい言うところの「作用する力」ですね。

「自分には他人の世話になる価値が無い」とか言っていた頃もありましたけど、そのあたりとも結び付きそうな話です(かなり強引ではありますが)。

その「作用する力」が「他人の事はどうでも良い」と解釈している感覚の正体だったとしたら、なかなか面白い事になります。

今しばらく、この感覚が何と言っているか耳を傾け続けてみます。