残業2 | 魂の世界に生きる

魂の世界に生きる

私が内なる世界と呼んでいたものは、魂の世界だった。

やっぱり「仕事は楽してナンボ」だと思うのですよ。

自分が楽な日常を送る為に、仕事をするのです。

だから、仕事を続ければ続ける程、生活も仕事も楽になって然るべき。

続ければ続ける程苦しくなるなら、何かが間違っているのです。

お金もまた、必然的に自分を楽にする為のものとなります。

お金は便利とか自由とか解放とか安全とか余裕とか色々言えますけど、端的に言えば“楽”なんですよね。

楽をする為の道具(お金)を、楽に得る為の手段が仕事なのですよ。

稲田にとって、お金や仕事の価値の本質は“楽”です。

“楽”を感じられないと何の意味もない。

…ところが、この価値観を阻む障壁となるのが、「お金を得られないなら、働きたくない」という考え方です。

サビ残もそうですけど、おそらく起業するとかになると、無給で働かざるを得ない状況も生じると思うのですよ。

そんな時、「お金を得られないなら、働きたくない」という考え方は強力なブロックとなります。

「○○時間働けば、○○円を得る」という考え方に慣れ過ぎると、どうしても時間とお金を関連付けてしまう。

そうなると、「働いても全くお金を得られないなら時間の無駄」という考え方にしかならないのです。

稲田が残業を嫌ったのも、そこに時間とお金の関連性が見えますね。

これは反対に、「お金が充分有るなら、働くのは時間の無駄」という考え方になるのです。

ここで見えたのは、「楽をする為に費やす時間は無駄では無い」という事と、「その為に費やす時間に真の価値が在る」という事です。

「お金が充分あるなら、働くのは時間の無駄」と考えているなら残業は無価値になりますが、「残業によって楽になる環境が生ずるならば、その残業には割増賃金以上に価値が在る」と考えるに至ります。



「仕事は楽をしてナンボ」じゃないな。

「仕事は楽であってナンボ」だな。

楽をして(Do)じゃなくて、楽である(Be)。

楽であるなら、楽をする必要が無いもんね。