不特定多数の他人から、自分について共通の要素を告げられたら、それは素直に受け止める価値があります。
稲田の場合、「こいつは大丈夫だ」的な評価を受ける事が多いです。
「安心出来る」「信用出来る」「真面目だ」「まともだ(何が?)」「癒される」…こんな性質のものですね。
これを稲田が恥じていて、「何が何でも隠したい」と思ったとしましょう。
そうなると、稲田は「安心出来ない」「信用出来ない」「ふざけた奴だ」「オカシイ奴だ」「イライラする」という評価を受ける事になります。
内面の仕組みをある程度理解した今なら、自分の姿を偽る理由もメリットも全く無い事を理解していますから、ありのままの姿を晒しても恥を感ずる事もありません。
何故恥を感ずるかと言えば、他人の価値観で自分を見た時に、ある特定の要素に不利を感じるからです。
稲田が他人の価値観で観たら、「安心出来る」「信用出来る」「真面目だ」「まともだ」「癒される」…という要素は一言で言ったら「つまらない」のですよ。
そうなれば、「つまらない自分の何処に価値があるのか」と、自分の価値を評価出来ません。
そして、「信用出来る」とか言われたら、「この人は自分をつまらない奴だと思っているんだな」と認識してしまうんです。
相手は自分の要素を美点として評価しているのに、稲田はそんな人を敵視してしまうのです。
その結果どうなるか。
稲田の信用は急転直下でガタ落ちします。
+100(信用出来る)から-100(信用出来ない)まで落ちたら、その落差は実に200です。
相手からは「こいつ(稲田)はすっかり別人になってしまった」と思われますし、稲田の方も「最初に信用してるって言ってたのは嘘だったのか」となります。
嘘を付いていたのは自分だという事が解って、嘘を改めれば「おお、やはりこいつ(稲田)は俺が見込んだ通りの男だった」という再評価の道が拓け、「雨降って地固まる」も起こり得ます。
しかし、意固地になってさらに勘違いな敵意を強めれば、待っているのは付いた嘘の深さに相応しく、他人からの惨憺たる評価と、自分でも到底幸福だとは言えない結末です。
「雨降ったら固まらずに土砂崩れ」です。
まさに因果応報。
因果とは、自分(他人)に対して正直か否か。
応報とは、その結果。
正直な姿を見せれば正直な(自分が欲する)結果が、偽った姿を見せれば偽った(自分が欲しない)結果がもたらされます。
稲田は、「全ての人はユニークな存在だ」という前提を持ちます。
どこかしら「この人は面白い」と感ずる部分があって、それを隠そうとしていながら全然隠せていない姿もまた非常に面白い。
可愛いし、いじらしい。
稲田が貴方を見て笑ったなら、それは貴方をバカにしたんじゃなくて、その全く逆ですよ。
貴方の面白さを認めたという事です。
もちろん、嘘を付いた正反対の姿から、正直な本来の姿を予想する事も可能です。
自分に嘘を付いている人程、本当は自分に素直な人なのですよ。