「残りのお金が幾らあるか」
稲田が求める経済的豊かさ(お金)とは、それが気にならない状態を指すのでしょう。
本当は何を気にしているのでしょうか。
思えば残高が変化する度に、「あとこれだけ有る」「あとこれだけ有る」と何かを確認していたかの様でしたが、一体何を確認していたのでしょう。
無くなるのを待っているかの様でもありましたし、無くなるのを恐れているかの様でもありました。
今、みぞおちの辺りがモヤモヤして落ち着きません。
ですが、それは何処か心地好く感じます。
稲田の人生経験(データ)の中には、「お金を気にしなくて良い状態」というものはインプットされていません。
「お金が尽きないシステムを構築する」とか、「一生使い切れない程のお金を手にする」とか、思い付くのは精々その辺りの事しかありません。
確かに“考えるならば”、「お金が幾ら有るかを気にしない状態」に至るには、そうするよりは他は無いかも知れません。
“感じるならば”、その必要は無いと感じますし、その為の努力をするつもりも気力も全く有りません。
しかし、「経済的に豊かさで在りたい(お金について一切気にしない状態で在りたい)」というのは、考えても感じても「そうだ」という答えが出ます。
お金以外に強く欲したものは、全て自分の手(意識)の中に在りました。
残るお金をも手にした時、一体何をしたいと感じる様になるでしょう。
「逃げ出します!」と宣言しておきながら、逃げそびれている職場をどうするつもりでしょう。
「お金の心配は無くなったから、働かんでもいいや」とばかりに忽然と失踪するのか、筋を通して契約期間を勤め上げて円満退社するのか、それとも「最悪だ!」と感じていた今の職場にずっと勤め続けるのか。
…それらは全て考える事によって出た可能性です。
感じる事によって見出された答えはその何れかかも知れないし、何れでもないかも知れません。
人生で経験された事のないものを求めているのだったら、考えるだけ無駄というものですが。