まだお金の正体は解りません。
ですが、今それを持っている事、もしくは自分自信が豊かさのそれで在る事は疑いありません。
「正体を掴めていなくても、持っている事に違いは無いのなら、持っている事を大前提に感じてみよう」…と思います。
二匹目のどじょうが釣れる事を期待して、再び問い掛けてみましょう。
「今、好きなだけ使えるお金を持っていたら、どうしたいのか?」
いや、お金が有る事が大前提ならば、“好きなだけ使えるお金を持っていたら”という条件は不要です。
ならばこう問うべきでしょうか。
「もう何でも可能だぞ。さて、どうしたい?」
…意外と出て来ないものですが、心の奥に穏やかで心地好い何かが在るのを感じます。
きっと、お金に対して全く気を使わなくて済む様な状態がそこに在るでしょう。
働く事が嫌だった頃、綺麗な女性を求めていた頃ならば、「働く事を避けたい!綺麗な女を何人も侍らせたい!」と答えたに違いありません。
しかし、働く事への抵抗も失せ、求めていた女性とは自分の容姿そのものだったと知った今、お金の使い途はそこには在りません。
確かに、それらは“考える事”によって出せ得る最高の答えであった事は今も否定しませんが、今は“感じる事”によって出る答えを求めています。
考える事によって出せる答えは、自分の人生の中で経験した範囲内に限定されます。
もし、本当に求めているものがその範囲を超えてしまっていたら、考える事によっては答えを出せません。
人生で経験した範囲外にある答えは、感じる事によってのみ見付かる事でしょう。
お金に関する事も、本当にやりたい事も、その範囲外に在るに違いありませんが、それは物凄く近くに在って、既に持っているものです。