さて、どうすんべ | 魂の世界に生きる

魂の世界に生きる

私が内なる世界と呼んでいたものは、魂の世界だった。

稲田はこのブログを他人が読む為のものとして書いていません。

理屈っぽい言葉も、理論でインプットして理論で処理する“ささ脳”タイプの自分向けとしているからです。

寄った書店でさとうみつろうさんの著書を立ち読みしたのですが、スピリチュアルを知らない人が読んでも面白い内容だと感じます。

少なくとも稲田には逆立ちしてもあの様な表現を紡ぎ出す事は出来ないでしょう。

人に対して、「観念を解体して楽になって欲しい」という感覚が希薄なせいもあるでしょう。

贔屓目無しで言って、AとBのパターンから自分の観念を解体していく方法論は、実用レベルだと思います。

あくまで自分用として限るなら、これ以上の方法論は存在しません。

最終的には自分の在り方(認識)を知る事を以って解体となりますが、一番表面的な行為的な観念の善悪をAとBのパターンに分けて文字として顕在化させるだけでも、一定の効果(心が軽くなる。真の望みへの手応えを感ずる等)を有します。

科学的な裏付けはありませんが、スピリチュアルにおける理論の裏付けは有します。

少なくとも、稲田が今までスピリチュアルを学ぶ上で参考にして来た、どの書籍やブログとも矛盾しません。

「それらを纏めればこの様な形になる」という自分の結論に自信はあります。

しかし、それは「自分の理解する範囲内において」という極度に狭いものです。

自分には通用する自信はあっても、他者に通用する自信はありません。

他者に試してもらった事がない為です。

そこで、今後は他者に読んでもらう事を意識して、記事を書いてみようと思います。

その中で、このブログを読んだ人で、実際に試して一定の効果を感じた場合、もしくは不備を感じた場合、メッセージなりコメントなりを貰えると有り難いです。

また、メッセージやコメントを頂かないまでも、貴方の中に良い変化が起きたなら、それはそれで良いです。

人気ブログでさえ、コメントを残す割合は数十人とか数百人に一人程と聞いた事があります。

元々アクセスの少ないこのブログでコメントを受けるのは相当に低い確率の事象である事でしょう。

コメントやアクセス云々は別として、先ずは「自分に向けて書く事」から、「他者に向けて書く事」に意識を向けます。

相変わらず理屈っぽい表現が並ぶ事に変わりは無いと思いますが、とにかくそうしてみたいと思います。