願望は必ず「得る事による実現」と「手放す事による実現」の両極で顕れます。
得る事のみに固執していると手放す事が見えませんし、手放す事のみに固執していると得る事が見えません。
「引き寄せの法則は得る事である」も「断捨離は手放す事である」も、それ一方に片寄っているとするなら、それは固定観念と言わざるを得ません。
本当は「引き寄せの法則は手放す事でもある」し、「断捨離は得る事でもある」のです。
意識の状態が得ている事と変わらなければ、得なくともそれは引き寄せたと言えますし、手放している事と変わらなければ、得たとしてもそれは断捨離です。
このように願望の実現とは、「現象的にどうなるか」ではなくて「意識の状態がどう在るか」によって成るものです。
意識の状態は決して嘘を付きません(…と言うよりも付けません)。
意識は果てしなく素直であり、正直です。
何かしらの願望を持ち、現象的に実現させたにも関わらず、あるいは手放したにも関わらずスッキリしないと感じているならば、手放すべきものを持ち、持つべきものを手放しているのかも知れません。
そんな時、「それを得た方が楽か、手放した方が楽か」を自分に問うと良いでしょう。
自分とは言ってもエゴではなくて、素直な意識の自分です。
ちなみに、どうでも良いと思っている事を問うても全く意味はありません。
どうでも良いと思っている事を自分(意識)が知っているので、「どうでも良い」と言う回答しか無いでしょう。
願望を抱いている時点でどうでも良くない事は明白でしょうから、「本当にどちらが良いのかを知りたい」と言う気持ちが高まった時に試してみると良いでしょう。
この時、「得たいんだけどどうすれば?」とか、「手放したいんだけどどうすれば?」など、エゴの要望を反映させた問い方をしてはいけません。
ただ単に、「得た方が楽か、手放す方が楽か」と問うだけです。
果てしなく素直な意識は、どちらがより良いかを素直に回答しますが、おそらくエゴとの綱引きが何度か起こります。
エゴが得る事を望んでいる場合、手放す方が良いと回答する意識に反発し、得る←→手放すの間を行ったり来たりしつつ、最後はエゴが折れて手放す心境になるか、現象として強引に手放さざるを得無い状況になるでしょう。
これを何度か繰り返すと、そのうちエゴは「意識の意向に逆らう事は不可能だ」と認識するに至ります。
同時に「逆らうと苦しいが、従うと楽である事」も認識します。
損得で動くエゴは、逆らう事より従う事にメリットを見出すと、物理的に損失を被り兼ねないものであっても、意識に従う事を優先します。
これを「損して得を取る」と言います。
意識に従った結果物理的に損をしても、エゴはそれを損だとは認識せず、「本当の自分(意識)に従ったと言う得を取った」と認識するからです。