父親クリスマス
ああ、今年もクリスマスが来た。憂鬱だな~~~。イブに恋人達はラブラブに過ごすなんておそらく日本だけだよ(笑)。




海外じゃ、クリスマスは家族と過ごすイベントで、正月が恋人通しで過ごすイベント、日本と逆だね~。だからクリスマスに恋人とどうとかおかしいんだよ。マライア・キャリーの歌も矛盾してるんだよ(笑)。



でも、キンクスはさすがだね、父親のことを歌ったブラックユーモアたっぷりのクリスマスソングなんて歌ってるから。歌詞はともかく歌はカッコいいんですよ~~。


1977年の歌だけど、タイトルは「FATHER CHRISTMAS」。

実はこの曲を紹介するのは一昨年と去年に引き続き3度目(笑)。このブログのヘビー読者なら飽き飽きしてると思いますが(笑)。キンクス好きだから、ネタも特にないのよ2年ちょいやってたら(笑)。


でも知らない人から見れば新曲同様、新鮮に聴こえると思います(笑)。←いいのかそれで(笑)
最近キンクス尽くしの話題で飽きてる方はいると思いますが、僕は飽きない(笑)。意地悪でも我が儘でもいいから付き合ってくれたら嬉しいです(笑)。←最悪だな(笑)



そんなキンクスのクリスマスソングをカバーしていたバンドを見つけました。あの面白いPVを撮ることで有名な1999年デビューのアメリカのロックバンド、OK GOなんです。


ビックリですね

僕も最近まで知らなかった。聴いたら弾けてて格好よかったです。そいじゃOK GOの「FATHER CHRISTMAS」聴いてみて下さい。↓↓http://www.youtube.com/watch?v=eQqo9njLbQQ&sns=em
いやー、素晴らしいカバーですね、いつかレイ師匠とコラボして欲しいな。もちろんこの曲で、続いては本家キンクスの「FATHER CHRISTMAS」を最後に聴いてみて下さい。今年も孤独に仕事にキンクスでも聴いて過ごすクリスマスになりそうです。




http://www.youtube.com/watch?v=CjaPXihbORk&sns=em
RAY DAVIES「SEE MY FRIENDS」を解剖するの巻⑥
こんばんは、今回で終わりを迎えるこのコーナー。名残惜しいですが(笑)。最後まで突っ走るのねん!さて、RAY DAVIESさんのコラボアルバム「SEE MY FRIENDS」の続きからここから日本盤と他の国のみのインターナショナル・ボーナストラックです。15曲目から最後の16曲目までを紹介します~。それじゃ本編へグビグビオーライ
15.「VICTORIA」featuring MANDO DIAO
バイトについて、マンドゥ・ディアオ。僕が好きなバンドで、1999年から活動しているスウェーデン出身のガレージロックバンド。主にドイツを中心に活動し、日本でも人気のあるバンドです。これまでに5枚のオリジナルアルバムにB面ベストに今月にレイ師匠とコラボしたMTVアンプラグドCDとDVDが発売され、来年新作が出る予定です。曲について、GS調のロックなナンバー。ライブでも定番の曲、1969年のアルバム「アーサー、もしくは大英帝国の衰退、ならびに滅亡」のオープニングを飾り、シングルにもなり、全英33位/全米63位のヒットとなりました。
解説によると、この曲はアルバム「アーサー~」用に書いた曲で、ヴィクトリア女王をテーマにしていた。自分の娘もこの曲にちなんでヴィクトリアと名付けたけど、彼女は未だにレイ師匠を許してくれないのこと(笑)。曲を作る経緯としては、MANDO DIAOからこの曲を持ってきた。ほとんどケイジャンに近いシャッフルのフィーリングを捉えたデモをくれた。曲のイメージにピッタリで最初に思い描いていた形でもある。
曲は、原曲に忠実でグスタフの色気ある声が主に前面に出てる感じですね、グスタフファンは気に入るかも。レイ師匠と一緒でテンションアゲアゲです(笑)。
16.「MOMENTS」featuring ARNO
アーティストについて、アルノ。ベルギー、フランスで人気を誇り、2002年にはフランスの文化勲章貰った、元はT.C.マティックというニュー・ウェイヴ系のバンドをやっていた方。曲について、1971年のアルバム「パーシー」に収録された美しいフォークナンバー。解説によると、特に記述は無いですが、アルバム「パーシー」では、キンクスの中で最も感動的な失恋の歌ということ。曲を作る経緯は記述はありませんが、曲は、アルノさんの渋い声が際立ったドラマチックなナンバーとなってます。
最後に、レイ師匠は曲を書くことによって表現することが目的で。始まりはキンクスにレコーディングする素材を提供することだった。しばらくすると曲たちは世の中に知られ、独自の生命を持ちはじめた。現在、他のアーティストに会うと、作品を知っていてお気に入りのキンクス・ナンバーがある。となればそういうアーティストたちとコラボレーションするのは、ごく自然な成り行きだろうとレイ師匠は考えたそうです。ここに収めたのはその一部のこと。
このアルバムを出す前に今年はキンクスとしては悲しいニュースがありました、今年6月23日にキンクスの初代ベーシスト、ピート・クウィイフが亡くなりました。キンクスのオリジナルメンバーとしての復活もいつの間にか無かった話になり、そんな悲しみも背負いつつ、
いつの日かキンクスの新曲が出ると信じてます。それぞれのソロやこのコラボもキンクスの新作なんだと思いながら聴くのが僕にとってのあのキンクス・ナンバーなんだと改めて思いました。
初めてキンクスの曲を聴く方にも非常にバラエティーに飛んでて最適な一枚だと思いますので是非たくさんの方に聴いて欲しいですね。
長くなりましたがそれではこの辺で終わります。

15.「VICTORIA」featuring MANDO DIAO
バイトについて、マンドゥ・ディアオ。僕が好きなバンドで、1999年から活動しているスウェーデン出身のガレージロックバンド。主にドイツを中心に活動し、日本でも人気のあるバンドです。これまでに5枚のオリジナルアルバムにB面ベストに今月にレイ師匠とコラボしたMTVアンプラグドCDとDVDが発売され、来年新作が出る予定です。曲について、GS調のロックなナンバー。ライブでも定番の曲、1969年のアルバム「アーサー、もしくは大英帝国の衰退、ならびに滅亡」のオープニングを飾り、シングルにもなり、全英33位/全米63位のヒットとなりました。
解説によると、この曲はアルバム「アーサー~」用に書いた曲で、ヴィクトリア女王をテーマにしていた。自分の娘もこの曲にちなんでヴィクトリアと名付けたけど、彼女は未だにレイ師匠を許してくれないのこと(笑)。曲を作る経緯としては、MANDO DIAOからこの曲を持ってきた。ほとんどケイジャンに近いシャッフルのフィーリングを捉えたデモをくれた。曲のイメージにピッタリで最初に思い描いていた形でもある。
曲は、原曲に忠実でグスタフの色気ある声が主に前面に出てる感じですね、グスタフファンは気に入るかも。レイ師匠と一緒でテンションアゲアゲです(笑)。
16.「MOMENTS」featuring ARNO
アーティストについて、アルノ。ベルギー、フランスで人気を誇り、2002年にはフランスの文化勲章貰った、元はT.C.マティックというニュー・ウェイヴ系のバンドをやっていた方。曲について、1971年のアルバム「パーシー」に収録された美しいフォークナンバー。解説によると、特に記述は無いですが、アルバム「パーシー」では、キンクスの中で最も感動的な失恋の歌ということ。曲を作る経緯は記述はありませんが、曲は、アルノさんの渋い声が際立ったドラマチックなナンバーとなってます。
最後に、レイ師匠は曲を書くことによって表現することが目的で。始まりはキンクスにレコーディングする素材を提供することだった。しばらくすると曲たちは世の中に知られ、独自の生命を持ちはじめた。現在、他のアーティストに会うと、作品を知っていてお気に入りのキンクス・ナンバーがある。となればそういうアーティストたちとコラボレーションするのは、ごく自然な成り行きだろうとレイ師匠は考えたそうです。ここに収めたのはその一部のこと。
このアルバムを出す前に今年はキンクスとしては悲しいニュースがありました、今年6月23日にキンクスの初代ベーシスト、ピート・クウィイフが亡くなりました。キンクスのオリジナルメンバーとしての復活もいつの間にか無かった話になり、そんな悲しみも背負いつつ、
いつの日かキンクスの新曲が出ると信じてます。それぞれのソロやこのコラボもキンクスの新作なんだと思いながら聴くのが僕にとってのあのキンクス・ナンバーなんだと改めて思いました。
初めてキンクスの曲を聴く方にも非常にバラエティーに飛んでて最適な一枚だと思いますので是非たくさんの方に聴いて欲しいですね。
長くなりましたがそれではこの辺で終わります。
RAY DAVIES「SEE MY FRIENDS」を解剖するの巻⑤
こんばんは、皆様寒くなりましたね。さて、今回も前回に引き続きRAY DAVIESさんのコラボアルバム「SEE MY FRIENDS」から12曲目から14曲目を紹介します。それじゃ本編へグビグビオーライ

12.「DAVID WATTS」featuring THE 88
バンドについては、THE 88は前に紹介したので省きます。曲について、THE JAMのカバーで有名な1967年の5枚目のアルバム「サムシング・エルス」の1曲目を飾った曲。切れ味の良いビートが特徴で成功している者への屈折した感情を歌った曲。解説によると、デヴィット・ワッツは育ちのいいイギリス人。何年も前のキンクスでのコンサートを主催してくれた。印象的で忘れがたいキャラクターとのこと。曲を書いたときもし彼と同じ学校に通っていたらと想像してみた。曲を作る経緯としては、ポール・ウェラーがTHE JAM時代に素晴らしいカバーしてくれたのでもう一度取り上げるのは気が進まなかった。知られてない事実だけど、ポールとはいくつか曲を共作したがリリースもされなかったし、デモを無くしてしまった。THE 88は今年初めのアメリカツアーでサポートに起用したバンド。4つのバンドの候補で一番ぴったりの感性を持つバンドだった。とても上手くこの曲を料理してたのこと。曲は、ピアノの弾けっぷりを楽しむ曲だけど、中々原曲に忠実でとても無難なコラボかな思いました。しかし、その空気感を出せるのが難しいと思うんだけど、この曲改めて可愛いと思いました(笑)。
13.「TIRED OF WAITING」featuring GARY LIGHTBODY
アーティストについて、ギャリー・ライトボディー。1998年から活動してる北アイルランド人とスコットランド人の混成バンド、SNOW PATROLのボーカル。2006年の4枚目のアルバム「EYES OPEN」は全英1位/全米5位で、アメリカではイギリス出身のバンドではデュラン・デュラン以来13年ぶりの快挙となった。今年、R.E.M.のピーター・バックらとサイドプロジェクトバンド、TIRED PONYを結成しアルバムを出して活動しました。曲について、1965年に出して2枚目の全英1位/全米6位を記録した大ヒット曲。「キミを待つことに疲れてしまったよ」と気怠げに歌うレイ師匠のボーカルと捻りの効いたメロディとブリティッシュ・ビート時代に一際立った個性を聴かせたナンバー。確かムッシュかまやつさんもこの曲が好きとテレビで公言してました。解説によると、あの頃、曲を書きはじめたばかりのライターだった。1枚目は6曲しかオリジナルは入ってないが2枚目は全曲オリジナルにして欲しい話だった。かなり難行し、曲の一部はセッションの現場で書く羽目になった。この曲は早い時期に書いた曲の1つ。基本的なメロディは「YOU REALLY GOT ME」より先に出来てた。北ロンドンのハイゲートで姉と暮らしながら、ギターを練習してた頃で15か16の時に書いたとのこと。曲を作る経緯としては、SNOW PATROLのプレイはイベントで見たことがあった。トラブルがあったのに隠してパフォーマンスをやり遂げる勇気と頑固さに感銘を受けた。彼の声が持つ、軽やかなに漂うサウンドの対比がいいアクセントになって、特別な何かを持たせてくれたとのこと。曲は、バラードの色がより強い感じになり、叙情系のバンドのボーカルはここでも頑固までの叙情的なオーラを見せてくれました。
14.「ALL DAY AND ALL OF THE NIGHT / DESTROYER」featuring BILLY CORGAN
アーティストについて、ビリー・コーガン。ご存じ、高樹千佳子さんも大好きな1988年から活動してるアメリカのシカゴに結成された90年代を代表するオルタナ・ロック・バンドTHE SMASHING PUMPKINSのボーカル。グラミー賞に10度ノミネートされ、4枚のプラチナムアルバムが認定されてます。曲について、前者は、キンクスの代表するハードロックにも影響を与えた1964年4枚目のシングル、全英2位/全米7位の大ヒット曲。後者は、1981年のアルバム「ギヴ・ザ・ピープル」に収めておりシングルカットもした、前者の曲を元に別の曲にしたことでファンの間で有名で、今回、レイ師匠が後者の曲を、ビリーが前者の曲をミックスしていく共作バージョンになってます。解説によると、「DESTROYER」はここに入る予定では無かった。後者の曲が生まれたのは、アメリカで「ロウ・バジェット」というアルバムをレコーディングしていた頃、枠組みは頭の中に出来上がってたので、セッションで口頭で伝え、その場で書かれた曲で僅か2テイクで完成。当時のキンクスがどれだけタイトなバンドだったかを証明する、最高の事例と言えるだろうのこと。曲を作る経緯としては、ビリーは曲のことをよく知っていて、Eメールで連絡を取ろうとしていたことがきっかけ。急に後者の曲を上手くやれるんじゃないかと思いつき、前者のリフと同じなので、2つの曲をくっつけることにした。今回、インターネットを使って作ったとのこと。曲は2つの曲が新曲のような繋がりで今のとこ一番好きな曲です。
今回はこれで終わります。次回やっと終わるかな(笑)


12.「DAVID WATTS」featuring THE 88
バンドについては、THE 88は前に紹介したので省きます。曲について、THE JAMのカバーで有名な1967年の5枚目のアルバム「サムシング・エルス」の1曲目を飾った曲。切れ味の良いビートが特徴で成功している者への屈折した感情を歌った曲。解説によると、デヴィット・ワッツは育ちのいいイギリス人。何年も前のキンクスでのコンサートを主催してくれた。印象的で忘れがたいキャラクターとのこと。曲を書いたときもし彼と同じ学校に通っていたらと想像してみた。曲を作る経緯としては、ポール・ウェラーがTHE JAM時代に素晴らしいカバーしてくれたのでもう一度取り上げるのは気が進まなかった。知られてない事実だけど、ポールとはいくつか曲を共作したがリリースもされなかったし、デモを無くしてしまった。THE 88は今年初めのアメリカツアーでサポートに起用したバンド。4つのバンドの候補で一番ぴったりの感性を持つバンドだった。とても上手くこの曲を料理してたのこと。曲は、ピアノの弾けっぷりを楽しむ曲だけど、中々原曲に忠実でとても無難なコラボかな思いました。しかし、その空気感を出せるのが難しいと思うんだけど、この曲改めて可愛いと思いました(笑)。
13.「TIRED OF WAITING」featuring GARY LIGHTBODY
アーティストについて、ギャリー・ライトボディー。1998年から活動してる北アイルランド人とスコットランド人の混成バンド、SNOW PATROLのボーカル。2006年の4枚目のアルバム「EYES OPEN」は全英1位/全米5位で、アメリカではイギリス出身のバンドではデュラン・デュラン以来13年ぶりの快挙となった。今年、R.E.M.のピーター・バックらとサイドプロジェクトバンド、TIRED PONYを結成しアルバムを出して活動しました。曲について、1965年に出して2枚目の全英1位/全米6位を記録した大ヒット曲。「キミを待つことに疲れてしまったよ」と気怠げに歌うレイ師匠のボーカルと捻りの効いたメロディとブリティッシュ・ビート時代に一際立った個性を聴かせたナンバー。確かムッシュかまやつさんもこの曲が好きとテレビで公言してました。解説によると、あの頃、曲を書きはじめたばかりのライターだった。1枚目は6曲しかオリジナルは入ってないが2枚目は全曲オリジナルにして欲しい話だった。かなり難行し、曲の一部はセッションの現場で書く羽目になった。この曲は早い時期に書いた曲の1つ。基本的なメロディは「YOU REALLY GOT ME」より先に出来てた。北ロンドンのハイゲートで姉と暮らしながら、ギターを練習してた頃で15か16の時に書いたとのこと。曲を作る経緯としては、SNOW PATROLのプレイはイベントで見たことがあった。トラブルがあったのに隠してパフォーマンスをやり遂げる勇気と頑固さに感銘を受けた。彼の声が持つ、軽やかなに漂うサウンドの対比がいいアクセントになって、特別な何かを持たせてくれたとのこと。曲は、バラードの色がより強い感じになり、叙情系のバンドのボーカルはここでも頑固までの叙情的なオーラを見せてくれました。
14.「ALL DAY AND ALL OF THE NIGHT / DESTROYER」featuring BILLY CORGAN
アーティストについて、ビリー・コーガン。ご存じ、高樹千佳子さんも大好きな1988年から活動してるアメリカのシカゴに結成された90年代を代表するオルタナ・ロック・バンドTHE SMASHING PUMPKINSのボーカル。グラミー賞に10度ノミネートされ、4枚のプラチナムアルバムが認定されてます。曲について、前者は、キンクスの代表するハードロックにも影響を与えた1964年4枚目のシングル、全英2位/全米7位の大ヒット曲。後者は、1981年のアルバム「ギヴ・ザ・ピープル」に収めておりシングルカットもした、前者の曲を元に別の曲にしたことでファンの間で有名で、今回、レイ師匠が後者の曲を、ビリーが前者の曲をミックスしていく共作バージョンになってます。解説によると、「DESTROYER」はここに入る予定では無かった。後者の曲が生まれたのは、アメリカで「ロウ・バジェット」というアルバムをレコーディングしていた頃、枠組みは頭の中に出来上がってたので、セッションで口頭で伝え、その場で書かれた曲で僅か2テイクで完成。当時のキンクスがどれだけタイトなバンドだったかを証明する、最高の事例と言えるだろうのこと。曲を作る経緯としては、ビリーは曲のことをよく知っていて、Eメールで連絡を取ろうとしていたことがきっかけ。急に後者の曲を上手くやれるんじゃないかと思いつき、前者のリフと同じなので、2つの曲をくっつけることにした。今回、インターネットを使って作ったとのこと。曲は2つの曲が新曲のような繋がりで今のとこ一番好きな曲です。
今回はこれで終わります。次回やっと終わるかな(笑)

RAY DAVIES「SEE MY FRIENDS」を解剖するの巻④
こんばんは、今回もRAY DAVIESさんのコラボアルバム「SEE MY FRIENDS」の続きを紹介します。4回目は9曲目から11曲目までを紹介します。それでは本編へグビグビオーライ

9.「DEAD END STREET」featuring AMY MACDONALD
アーティストについて、エイミー・マクドナルド、2007年にデビューした、UKの女性シンガー・ソングライター、デビュー・アルバムが全世界で100万枚を超える大ヒットで今注目の若手アーティストの一人。音楽に目覚めたきっかけとして、12歳の頃聴いたTRAVISの「THE MAN WHO」を挙げてます。←TRAVIS好き発見(笑)!
曲について、1966年の12枚目のシングルで全英5位のヒット曲。日本では当時「~街角」と付けられたヒットが多かったことから、邦題は「危険な街角」と名付けられました。解説によると、この曲は「サニー・アフターヌーン」の続編で、よく自分の曲を父親に聴かせていた。父親は20年代、30年代の大恐慌を経験した人間で、社会主義者だった。この曲のアイデアを気に入ってくた。その大恐慌を、モダンな背景に置き換えてみたのこと。
曲を作る経緯としては、エイミーとやってみてモダンな感じがした。原曲にはミュージックホールとスウィングを合わせたノリがあった。それとビバップも、レイ師匠は彼女の声より1オクターブしたのこと。あまり時間はないけど彼女の喋りを聞いてアレンジのアイデアが纏まったとのこと。曲は、ジャズテイストで力強いボーカルがパンチ効いてて聞き応えあります。
10.「SEE MY FRIENDS」featuring SPOON
バンドについて、スプーン、1994年から活動してるアメリカのインディー・ロック・バンド。新作もヒット中で今までに7枚のアルバムを出してます。バンド名の由来はドイツのバンド、カンの曲名から。曲について、このアルバムの表題曲。1965年に8枚目のシングル曲で全英10位を記録。極東ツアーの時、インドのボンベイでアイデアを得たナンバー。後のブリティッシュ・ロック界でちょっとしたブームになるラーガ・ロックの先駆けとなった。
解説によると、当時マスウェル・ヒルのコンノート・ガーデンズで完成させ、早朝、歌いながら仕事に向かう漁師たちがインスピレーションになり、感性を重視した曲。インド人になりたくて書いた曲ではないとのこと(笑)。テーマは貧しい暮らしを送る彼らが自分達の暮らしとどう折り合いをつけ歌でどう人生を祝福していたかという曲。ヒッピーのアンセムとかを狙った曲ではないとのこと。
曲を作る経緯としては、雑誌でシンガーのブリット・ダニエルと対談してから、今年の始めに、同じフェスティバルで出演し、彼らの素晴らしいショウを披露していた。レコーディングを進めていたとき、たまたま彼らがツアーでイギリスを訪ねていたからのこと。曲は、ハモり具合がいい爽やかさを生み出し、やはりインドっぽいです(笑)。
11.「THIS IS WHERE I BELONG」featuring BLACK FRANCIS
アーティストについて、ブラック・フランシス。1985年に結成したアメリカのロックバンド、ピクシーズのボーカル。1991年に解散し、2004年には再結成しました。
曲について、イギリス以外のヨーロッパ諸国で出したシングル「ミスター・プレザント」のカップリングナンバー。解説によると、1966年の3枚目のアルバム「フェイス・トゥ・フェイス」時代の曲。シングルのB面だった。B面曲の中にもいくつかお気に入りの曲があったのこと。
曲を作る経緯としては、この曲が入ることは不思議、今年のツアーをこの曲でスタートさせてたから。急に入れたくなった。ブラックのことは気に入ってた。最初は二人だけでアコースティック・ギターで弾くことからスタートし、ブラックはピクシーズのツアー中で、手早く仕上げ、後でレイ師匠のツアーバンドでバッキングを付けたとのこと。
曲は、フォークな感じだけど、バンド色も取り入れポップに聴こえます。原曲とそこまで変わりはしないけど、あっさりしてるイメージです。
今回はここまでで終わります。至らない部分もあるかとは思いますが、ライナーノーツがレイ師匠のインタビューも書いてて意外に細かい記述でほぼそこから抜粋し重宝してます(笑)。また飽きずに見てくれたら嬉しいです。次回へ続く。


9.「DEAD END STREET」featuring AMY MACDONALD
アーティストについて、エイミー・マクドナルド、2007年にデビューした、UKの女性シンガー・ソングライター、デビュー・アルバムが全世界で100万枚を超える大ヒットで今注目の若手アーティストの一人。音楽に目覚めたきっかけとして、12歳の頃聴いたTRAVISの「THE MAN WHO」を挙げてます。←TRAVIS好き発見(笑)!
曲について、1966年の12枚目のシングルで全英5位のヒット曲。日本では当時「~街角」と付けられたヒットが多かったことから、邦題は「危険な街角」と名付けられました。解説によると、この曲は「サニー・アフターヌーン」の続編で、よく自分の曲を父親に聴かせていた。父親は20年代、30年代の大恐慌を経験した人間で、社会主義者だった。この曲のアイデアを気に入ってくた。その大恐慌を、モダンな背景に置き換えてみたのこと。
曲を作る経緯としては、エイミーとやってみてモダンな感じがした。原曲にはミュージックホールとスウィングを合わせたノリがあった。それとビバップも、レイ師匠は彼女の声より1オクターブしたのこと。あまり時間はないけど彼女の喋りを聞いてアレンジのアイデアが纏まったとのこと。曲は、ジャズテイストで力強いボーカルがパンチ効いてて聞き応えあります。
10.「SEE MY FRIENDS」featuring SPOON
バンドについて、スプーン、1994年から活動してるアメリカのインディー・ロック・バンド。新作もヒット中で今までに7枚のアルバムを出してます。バンド名の由来はドイツのバンド、カンの曲名から。曲について、このアルバムの表題曲。1965年に8枚目のシングル曲で全英10位を記録。極東ツアーの時、インドのボンベイでアイデアを得たナンバー。後のブリティッシュ・ロック界でちょっとしたブームになるラーガ・ロックの先駆けとなった。
解説によると、当時マスウェル・ヒルのコンノート・ガーデンズで完成させ、早朝、歌いながら仕事に向かう漁師たちがインスピレーションになり、感性を重視した曲。インド人になりたくて書いた曲ではないとのこと(笑)。テーマは貧しい暮らしを送る彼らが自分達の暮らしとどう折り合いをつけ歌でどう人生を祝福していたかという曲。ヒッピーのアンセムとかを狙った曲ではないとのこと。
曲を作る経緯としては、雑誌でシンガーのブリット・ダニエルと対談してから、今年の始めに、同じフェスティバルで出演し、彼らの素晴らしいショウを披露していた。レコーディングを進めていたとき、たまたま彼らがツアーでイギリスを訪ねていたからのこと。曲は、ハモり具合がいい爽やかさを生み出し、やはりインドっぽいです(笑)。
11.「THIS IS WHERE I BELONG」featuring BLACK FRANCIS
アーティストについて、ブラック・フランシス。1985年に結成したアメリカのロックバンド、ピクシーズのボーカル。1991年に解散し、2004年には再結成しました。
曲について、イギリス以外のヨーロッパ諸国で出したシングル「ミスター・プレザント」のカップリングナンバー。解説によると、1966年の3枚目のアルバム「フェイス・トゥ・フェイス」時代の曲。シングルのB面だった。B面曲の中にもいくつかお気に入りの曲があったのこと。
曲を作る経緯としては、この曲が入ることは不思議、今年のツアーをこの曲でスタートさせてたから。急に入れたくなった。ブラックのことは気に入ってた。最初は二人だけでアコースティック・ギターで弾くことからスタートし、ブラックはピクシーズのツアー中で、手早く仕上げ、後でレイ師匠のツアーバンドでバッキングを付けたとのこと。
曲は、フォークな感じだけど、バンド色も取り入れポップに聴こえます。原曲とそこまで変わりはしないけど、あっさりしてるイメージです。
今回はここまでで終わります。至らない部分もあるかとは思いますが、ライナーノーツがレイ師匠のインタビューも書いてて意外に細かい記述でほぼそこから抜粋し重宝してます(笑)。また飽きずに見てくれたら嬉しいです。次回へ続く。
RAY DAVIES「SEE MY FRIENDS」を解剖するの巻③
こんばんにゅ、もはや解説に熱中する余り頭がパンク気味の僕ですが、飽きずに暖かい目でこのコーナーを見てくれたら嬉しいです。さて、RAY DAVIESさんのコラボアルバム「SEE MY FRIENDS」を解剖する3回目の今回は、前回から引き続き6曲目から8曲目をさらっと紹介します。早速本編へグビグビオーライ
6.「LOLA」featuring PALOMA FAITH
アーティストについて、パロマ・フェイス、2009年にデビューしたUKの女性新人ソウル・シンガー。女優としても活躍。
曲について、1970年の21枚目のシングル、全英2位/全米9位のキンクスとして久しぶりの大ヒット曲。アコースティックな音色にライブでも盛り上がるナンバー。解説によると、パリで何人かのドラッグ・クイーンに会った後で書いた曲。曲を作る経緯としては、とりかくこの曲は女性に歌わせづらい曲で逆にパロマは面白がったのこと。服装倒錯者の歌でネタばらしをせずに歌いきるのは難しく、彼女のソウルフルな声とウィットのお陰で気になりがらもレコーディングしたのこと。曲は、ソウルフルだけど軽快さがあり、口説くない感じでよかです。
7.「WATERLOO SUNSET」featuring JACKSON BROWNE
アーティストについて、
ジャクソン・ブラウン、60年代後半から様々なアーティストに楽曲を提供し、ソロでも活躍してる、ドイツ生まれのアメリカ、ロサンゼルス育ちのアメリカのシンガーソングライター。日本でも浜田省吾や佐野元春、尾崎豊らに多大な影響をもたらした。曲について、1967年にシングルとして全英2位の大ヒットを記録した、キンクスの名曲の1つ、ロンドンのテムズ川ほとり、ウォータールーの素晴らしい夕陽に託して人生を様々な思いを寄せる名曲。
レイ師匠は子供の頃、入院していた体験からインスピレイションを得たと語ってます。解説によると、初めて本格的に付き合ったガールフレンド、後の奥さんとテムズ川ほとりを歩いたのが本当の事件だな。この曲の主人公は、たぶん二人の姉のことだ。この曲はあの二人とそしてレイ師匠が見た二人の将来のために書いたとのこと。
曲を作る経緯としては、一番意外なキャスティングで、彼が参加したがってる連絡を受けて、ウェストゴーストっぽい曲から見繕うと悩んでると、エージェントからこの曲をやったらと提案された。おかしいなと思いつつもジャクソンがいいギブソンのギターを持ってスタジオに現れた。響きがよくするため本来のEコードからDで引きオープンEでチューニングし、一番下の弦をデチューンした。二本のギターと二人のボーカルそれだけでおしまいにした。雰囲気を壊したくなったからで、このレコードで一番込み入ってないアレンジの1つのこと。
曲は、解説どおりシンプルで二人のその場の空気がしっかり録音されてて、名曲はシンプルなアレンジでも名曲なんだなと改めて実感しました。
8.「'TIL THE END OF THE DAY」featuring ALEX CHILTON & THE 88
アーティストについて、アレックス・チルトン、惜しくも今年の3月17日に享年59歳で亡くなった。アメリカのロック・ミュージシャン。1967年BOX TOPSで16歳の若さでデビュー。1970年バンド解散後は、元祖パワー・ポップ・バンドBIG STARを結成、その後ソロへ。ヒットには恵まれなかったものの、R.E.M.、ティーンエイジ・ファンクラブをはじめオルタナシーンのアーティストに影響を与えました。
THE 88については前に書いたので省きます。曲について、1965年に全英6位のヒット曲。アルバム「キンク・コントラヴァーシー」にも収録されてます。デイヴの切れ味良いパンキッシュなギターで初期の代表曲の1つ。ライブでも必ず演奏されてます。解説によると、アレックスのバンドBIG STARの3枚目のアルバムでこの曲をカバーしてて、出来ればビッグ・スターをスタジオに呼びたかったけど。35年も前に自分の曲のカバーに思いを馳せるのは楽しい体験のこと。曲を作る経緯としては、最初にこのプロジェクトで呼んだのが彼で、レコード会社は彼が何物かは分かってなかった。レイ師匠は彼を評価していて、この曲以外に「SET ME FREE」もレコーディングしたけど使ってない。最後にレイとの共演に喜んでるはずとのこと。
曲は、原曲に忠実で、キンクスのカバーをただ聴いてる印象が強いですが、そこには少年が憧れの人と共演したような青さがあった。奇しくも遺作になりましたが、アレックスさんにお悔やみを申し上げます。
今回はこの辺で終わります。このペースだったら後3回はかかりそう(笑)。年末まで間に合うか不安ですが続きも飽きないで見てください。

6.「LOLA」featuring PALOMA FAITH
アーティストについて、パロマ・フェイス、2009年にデビューしたUKの女性新人ソウル・シンガー。女優としても活躍。
曲について、1970年の21枚目のシングル、全英2位/全米9位のキンクスとして久しぶりの大ヒット曲。アコースティックな音色にライブでも盛り上がるナンバー。解説によると、パリで何人かのドラッグ・クイーンに会った後で書いた曲。曲を作る経緯としては、とりかくこの曲は女性に歌わせづらい曲で逆にパロマは面白がったのこと。服装倒錯者の歌でネタばらしをせずに歌いきるのは難しく、彼女のソウルフルな声とウィットのお陰で気になりがらもレコーディングしたのこと。曲は、ソウルフルだけど軽快さがあり、口説くない感じでよかです。
7.「WATERLOO SUNSET」featuring JACKSON BROWNE
アーティストについて、
ジャクソン・ブラウン、60年代後半から様々なアーティストに楽曲を提供し、ソロでも活躍してる、ドイツ生まれのアメリカ、ロサンゼルス育ちのアメリカのシンガーソングライター。日本でも浜田省吾や佐野元春、尾崎豊らに多大な影響をもたらした。曲について、1967年にシングルとして全英2位の大ヒットを記録した、キンクスの名曲の1つ、ロンドンのテムズ川ほとり、ウォータールーの素晴らしい夕陽に託して人生を様々な思いを寄せる名曲。
レイ師匠は子供の頃、入院していた体験からインスピレイションを得たと語ってます。解説によると、初めて本格的に付き合ったガールフレンド、後の奥さんとテムズ川ほとりを歩いたのが本当の事件だな。この曲の主人公は、たぶん二人の姉のことだ。この曲はあの二人とそしてレイ師匠が見た二人の将来のために書いたとのこと。
曲を作る経緯としては、一番意外なキャスティングで、彼が参加したがってる連絡を受けて、ウェストゴーストっぽい曲から見繕うと悩んでると、エージェントからこの曲をやったらと提案された。おかしいなと思いつつもジャクソンがいいギブソンのギターを持ってスタジオに現れた。響きがよくするため本来のEコードからDで引きオープンEでチューニングし、一番下の弦をデチューンした。二本のギターと二人のボーカルそれだけでおしまいにした。雰囲気を壊したくなったからで、このレコードで一番込み入ってないアレンジの1つのこと。
曲は、解説どおりシンプルで二人のその場の空気がしっかり録音されてて、名曲はシンプルなアレンジでも名曲なんだなと改めて実感しました。
8.「'TIL THE END OF THE DAY」featuring ALEX CHILTON & THE 88
アーティストについて、アレックス・チルトン、惜しくも今年の3月17日に享年59歳で亡くなった。アメリカのロック・ミュージシャン。1967年BOX TOPSで16歳の若さでデビュー。1970年バンド解散後は、元祖パワー・ポップ・バンドBIG STARを結成、その後ソロへ。ヒットには恵まれなかったものの、R.E.M.、ティーンエイジ・ファンクラブをはじめオルタナシーンのアーティストに影響を与えました。
THE 88については前に書いたので省きます。曲について、1965年に全英6位のヒット曲。アルバム「キンク・コントラヴァーシー」にも収録されてます。デイヴの切れ味良いパンキッシュなギターで初期の代表曲の1つ。ライブでも必ず演奏されてます。解説によると、アレックスのバンドBIG STARの3枚目のアルバムでこの曲をカバーしてて、出来ればビッグ・スターをスタジオに呼びたかったけど。35年も前に自分の曲のカバーに思いを馳せるのは楽しい体験のこと。曲を作る経緯としては、最初にこのプロジェクトで呼んだのが彼で、レコード会社は彼が何物かは分かってなかった。レイ師匠は彼を評価していて、この曲以外に「SET ME FREE」もレコーディングしたけど使ってない。最後にレイとの共演に喜んでるはずとのこと。
曲は、原曲に忠実で、キンクスのカバーをただ聴いてる印象が強いですが、そこには少年が憧れの人と共演したような青さがあった。奇しくも遺作になりましたが、アレックスさんにお悔やみを申し上げます。
今回はこの辺で終わります。このペースだったら後3回はかかりそう(笑)。年末まで間に合うか不安ですが続きも飽きないで見てください。
