2016年にとある心理系の講義で知り合った友人が、自殺しました。
まだだったの21歳でした。
彼女の家庭環境は複雑で、父は血が繋がっておらず、精神的DVをする人で、その父親が連れてきた子供(弟にあたるみたいですが)も最低で、彼女の心の問題を理解せず卑下していたようです。たった1人の頼れる母とも上手くいかず、警察と救急を呼ばれることもあったそうです。
彼女は入退院を繰り返し、安定し始めた2018年、漸く遊ぶことが叶いました。LINEではずっとやり取りをしていましたが、本当に念願の事でした。
彼女の声は、不思議なもので、美しい音色を奏でるフルートのような声色でした。その場を一瞬で和ませるような、そんな声と雰囲気でした。
彼女は複雑な家庭環境で育ったにも関わらず、その愚痴は一切漏らさず、いつも聞き役に回っていました。
弱い所を人に見せることが出来ない優しい子でした。
気も回るし、可愛いし、その場にいるだけで存在が成立するような素敵な人格の持ち主でした。
そんな彼女と去年連絡が途絶えてから1年。LINEをしても既読がつかない、手紙にも返信が無い、そしてLINEを確認すると携帯が解約されてることに気付きました。これはもしかして、「最悪」な想定しか出来ませんでした。混乱した頭でもう一度手紙を送ると、彼女のお母さんから返信が来ました。
彼女は、私と遊んで別れた直後に自殺をしていました。
私は、やり切れない気持ちになりました。もっとなにか出来たろう。もっと話を聞いてあげられたろう、もっともっと、大好きだと伝えればよかった。ちゃんと声で。
心が引き裂かれる思いでした。多分この事実は一生、私の心を引き裂いたままにするでしょう。
でも、それ以上に引き裂かれズタボロで苦しみ孤独を抱え辛かったのは自死を選んだ本人に違いません。
どうして、私は直前まで居たくせに表情、声色ひとつから気付いてあげられなかったのだろう。
LINEでは「一緒に生きようね」が彼女との最期のやり取りになりました。
約束は、破らない子だったのに。
どんなに辛かったろう、苦しかったろう。
息絶えるとき、孤独だったろう。
考えると、きつく苦しいです。
私は、彼女のお母さんに彼女の分まで幸せになって下さいと、言われました。
そうなのかもしれません。
でも、生き続けることは、失い続けることでもあると考えると、生きるのが耐え難いです。