腕の自傷跡、首の自傷跡を見てしみじみと思う。
外側の傷も、内側の傷にも意味があるんだろうなあと。
担当医、地活の相談員さんには「不利な状況を自ら作り上げているということ」と叱られました。
確かに、半袖着れないし、初対面の人に気遣うし、恋は億劫になるし良い事なんて一つも無いです。
でも、この跡は私の本心が「生きたい」って叫んだ証であって、だからこそ今こうして生きていられたためのものでもある。
痛い時もあれば記憶が抜けてる時もあって。
私にとって、自傷行為は一種の「安心材料」で、苦しみから解放してくれる「居場所」でもある。
この先も、自傷行為をしないという保証は無いし、弱い私の心は誘惑に勝てないと思う。
今は、落ち着いた状態だから、自傷行為という欲求を俯瞰的に見て考えられない。
冒頭の話に戻りますが、こうした外・内の傷には必ずしも意味があると思います。
私は、無神論者で宗教的な事に関心はありませんが、傷を負った人には
同じ傷を負った人の手当てをする事が出来ると思います。
障害を背負うという事は、とても「孤独」です。
同じ障害名でも、個々で症状は違うし背景も違う。
けれど、独りではないです。傷の舐め合いでもいいんです。
少しでも癒し合う事が出来ると思うんです。
なんて、自傷跡を見ながらしみじみ。
関係ない話ですが、腕に画鋲を刺し静脈を探す自傷は、瀉血をしようとしてました。
絶対跡にならないと思ったのになあ・・。
