ふるいにかける能力 (編集済み 再投稿) | みたこと、聴いたこと、思ったこと等の 独り言。時々ですます調。 ブロックはご自由にどうぞ。

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創価学会は、元々は末法の御本仏日蓮大聖人の在家の信者の団体でした。
平成3年に日蓮正宗から教義逸脱等により破門され、今では 仏教的・平和主義的・人道主義的等の雰囲気を持つ 政治的な営利団体へと変貌しました。
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私の父と母は、ものの見方や考え方が ほぼ真逆という程 違っていた。


父は技術者であり、測量や製図・種々の作業等に必要な道具類や 地図や図面を大切にしていて 自然を観察したり、小さな動植物を愛でたりした。

好んで見た番組は 「兼髙かおる世界の旅」と「鳥人間コンテスト」 だった。

父が大事にしていたことは 「事実」 である。


母は武家の末裔の豪農の娘として 「ねばならない」 とか 「べきである」 と 言われ続けて育った。

占いやまじない、幽霊や妖怪を信じ 根性論や世間体に一喜一憂した。

 母はまた、非常に負けず嫌いなところがあり、人と自分を比べたり 勝ち負けにこだわったりした。

母は 「事実かどうか 必要かどうか確かめようのない 漠然として曖昧なもの」 に とらわれていた。

人に負けたくないという考えにとらわれ、ヒロポンの中毒になり、やがてアルコールに依存し、パチンコ中毒になった。


父は一般的にみれば、高収入な仕事をしていたが、母がお酒とパチンコと、遊興費やたくさんの趣味のために お金を使ってしまうので、お金のかからない 少しでご飯のおかずになる塩分の多い野草料理や 自分で 釣ってきた魚などを文句も言わず食べていた。


もともと、継母とは折り合いが良くなかったが、父にとって 実父や腹違いの妹弟は大切な 存在だった。だが、母は 父が実父や妹弟と親密にするのを好まず、非常に巧妙に疎遠にさせていた。


母は、本能的に 自分自身が分別がなく ひとりで生きていけない人間だと知っていたのではないだろうか。


偶然巡りあった、生きる能力に優れた やや孤独な男性である父を、逃すまいとしただけでなく 血縁者から、切り離す事に成功した。


父の生涯の収入のほとんどを母は使い果たした。それでもなお、破綻せず ひょうひょうと生き、退職金で小さな家を建て、晩年 「命懸けで人々の幸福に寄与した」というような叙勲を受けるだけの余力を 父は持っていた。足かせをつけられたまま、富士山を駆け上がるような人だったのだと思う。


何故、父は 飲んだくれて暴言を吐き、パチンコでお金を使い果たす母と別れなかったのだろうか。


その理由のひとつには 継母に虐待を受けて育ったために、イヤなことから逃げるというスキルを獲得出来なかったのではないかということがあると思う。


もうひとつの理由として、物事をきちんと認識出来ず 人生に必要な事だけを 「ふるいにかける能力」 を 持たない母を、ひとりでは生きていけない母を、見捨てることが出来なかったのではないかと思う。


父は、母と違って 私にも兄にも こうでなければならないというような、条件を言ったことがない。父は誰に対してでも、無条件の善意を持っていた。母と兄と私は、父にとって無条件に庇護する 大切な自分の家族だったのだと思う。


世の中には、物事を 「事実かどうか」 「本当に必要な事なのかどうか」 ふるいにかける能力を持たない人がいる。また、そういう人の中には、自分がひとりでは生きていけないことを本能的に知っている人がある。

そして、生活力のある人を嗅ぎ分ける嗅覚をもってして、また、幼子のようなあどけなさをもってして 巧みに他人に依存し ともすれば宿主を食い殺すほどの欲望を隠し持っている。


こういう人の 目で見て判る特徴は、首から全然おしゃれじゃない汚れた御守り袋を下げていたり、宗教的なネックレスをしていたり、手首にパワーストーンの数珠ブレスレットを付けていたりするということがある。

占いやおまじない、スピリチュアル、オカルト 伝説や神話などの迷信が大好きである。 



霊感があると言ったり、ロマンチックなフィクションやファンタジーを好み、根拠のない 妄言や、曖昧で漠然とした夢のようなことを語る。また容易に  陰謀論などを鵜呑みにして事実を認めない。形容詞の多い読み物を好み 現実を避ける。そもそもとか本来という言葉が大嫌いで 金切り声をあげて反論する。



家の中にはインテリアに不釣り合いなおふだ なども、幾つも貼られている。

御守りやおふだを買い、ラッキーカラーを 身に着け、パワースポットに出かけ あちこちでお賽銭を投げ込めば 日々の地道な努力など必要ないと考えているようにも見える。

だが 本当は 先天的に あるいはアルコールや薬物、よこしまな新興宗教の洗脳の後遺症や 外傷などの影響によって後天的に、ものを考えたり、正しく読み解いたり 覚えたり 無用な考えを排除したり、生活上 要らないものを処分するといった能力を 持っていなかったり 失っているのである。

ところが 不思議なことに、真面目に努力できる人の 気持ちを揺さぶり、心を支配したりコントロールする能力は 強烈に持っている。


こういう人に取り込まれて、人生を搾取されないためには、とにかく 衣食住や金銭を共有しないことが大切だと思う。


こういう人に本当に必要なのは、御守りではなく、依存するためのパートナーでもない。


まずは、公的な支援と 適切な医療が必要なんだと私は思っている。



父が 日蓮大聖人様は末法の御本仏であり 法華守護の諸天善神は実在するということを、事実であると認識して 心からよろこんだことは 私自身 本当にうれしいことだった。




死に至る病、愛着障害