目に見えないものを信じられる?
目にみえないものなんて沢山ある。
子供が転んで足から血を流していたら
「痛い」ってことに共感できるけど
頭が痛い、お腹が痛い
って言ったら
その痛みに共感するのってむずかしい。
次男は苦手なものがあって
あそこにあるあのおもちゃがこわい。
と、ハッキリとは言ってくれなかったのですが
光って音が鳴る電話みたいなおもちゃ。
そういうおもちゃは沢山あるけど
全てではなくて特定のもの。
その場では周りの人に伝えて協力してもらうことができたけど
しまった先の戸が開くのも怖がっていました。
怖がりながらも執着しているようにも感じる。
別の場所でも、たまにありました。
4つくらい。
なんで?なんて
考えたってわかりゃしない
なんで?というその時期の私の思考は幾度となく
親子でパニックを引き起こした。
怖いもんは怖いんでしょうね。というあきらめ。
幼い子に怖い理由なんて求められない。
他人の目から逃れるためにも気配すら消そう。
そんなときあたまが真っ白になった。
訓練訓練。
修行修行。
以下
ちょっと信じられないようなはなしをします。
たとえば仮に次男が前世の記憶を持っているとします。
そして前世で両親から虐待を受けていたとします。
そして、次男が怖がるおもちゃは虐待していた親が買ってくれたものだとします。
次男は前世で虐待されていたけど両親のことが大好きでそのおもちゃを買ってくれたのもすごく嬉しかった。
それを思いだしていたら?
明らかに恐怖を感じながら
引きつりながらも目が離せなくなっていた
そんなこともあるかもね。
あとは、体からのアプローチを学ぶことも大切。
恐怖麻痺反射とか。
とにかくスリスリ触ることは忘れないように。
ちいさいまつりをおうえんしています♡