卒業生との会話 | メガネ先生のブログ

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昨日、様々な「我慢ができない」人間について書きましたが、生徒や卒業生とその話題になりました。教育系に進みたい生徒もいるので、令和の教育とはどうあるべきなのだろうとよく考えます。今は授業の動画もネット上に沢山あるので、普通レベルの授業であれば、大抵のことについて教えてもらえるし、説明動画も見られます。だから学校や塾に行って授業を聞かなくてもやる気さえあれば、勉強できる時代になっています。学校でよくわからない授業を聞くくらいなら、動画で見ればいいやという気持ちも分かります。では受験問題さえ解けるようになれば、教育というものはおしまいなのでしょうか?

母校の恩師はよく言っていました。高校は予備校ではない。受験準備のために存在している訳ではなく人間教育の場所なんだと。

確かに各種学校行事に内在する集団行動での規律や、楽しいだけではない共に作り上げる苦労や、協力の重要さへの実感が失われてしまうと、働く側になった時にコミュニケーション上で多くの不都合が生まれます。

コミュニケーションにおいて重要なことは「察する能力」です。教室では、今日は生徒のやる気がないと感じる時には、一旦いつもとは全く違うことはやらせて気分を調整します。そういう臨機応変な対応は経験がないと難しいのです。

学校や集団の中で自分の立ち位置を見つけることは、会社の中でも必要なスキルですが、誰かが教えてくれるわけではありません。そうした勉強だけではないことも子供達には学んでいってほしいのですが、受験勉強に対する効率だけを重視するとすべて無駄だと感じてしまうのかもしれません。いわゆる○○ハラと呼ばれるものは、相手が嫌だと思っていることを、察する能力がないから起こります。もしくは自分には力(権限や権力)があると勘違いしているのでしょう。教育は難しいですが、だからこそ重要なのです。