辛いのは私の方 | 突然旦那が亡くなった…その後の私の人生の記録。ずっと主人と共に

突然旦那が亡くなった…その後の私の人生の記録。ずっと主人と共に

2,018年6月
54歳で主人が突然亡くなりました。
私はその時45でした。

同じような経験や思いを持つ方、そしてそうでない方もこの突然の出来事、この思い、何よりもこの世で54年生きていた主人の事と、その後の私の人生を知って頂けたら幸いです。


今を生きてる中で願うのは、残された者(家族)の平和な日々。そこのみ。

ただただ毎日元気でさえ皆んなが居てくれたら、それが一番、最高の幸せなんだと心から思う。

今ならそうわかるのに…
主人がいた頃の私はそうでは無く、いや、頭ではそこを思いながらも、やっぱり何も無い日々では無い、「何か」を日々求めながらも生きていたようにも思う。

だから身勝手な文句も湧き、不平不満も溜まる。
そんな日々を、私は生きていた。

少なからず、ただ毎日を一生懸命働いてくれていた、本当に私から見るとそればかりだった主人に対して、どれほどの(身勝手な)モヤモヤやイライラを持っていたことか。


今なら、心の底からわかります。

何も無い、何も起こらない平和な平凡な日々こそがどんなに幸せで、そしてそれがどんな「奇跡」だったのかな…って。

本当に今なら私自身ももっとまともに、もっと優しく、主人に寄り添ってしっかり生きれそうなものなのに。

何度も何度も何十回もこれを思いました。

でもやっぱり…
それこそも「主人が亡くなったこと」でわかったこと。
そこが無ければわからない、変わらない私だったはずで…。


結局6年が過ぎた今、今わかる、今思うことは残された自分の今目の前のやるべき事に一生懸命集中して、そこに少なからずの全力を注いで生きて行くしかない。

そんな日々。それで良いし、逆にそれしか無い。
そう考える日々です。

だって私、主人には謝ったし気持ちは伝えたんだから。
そこがあったから、今の私がいる。
全てはやっぱり感謝。
全てにおいて、この言葉に集約されるんだと思う。
何もかもに感謝。
そう思って生きていきたい。

人はどんな形で、どんな亡くなり方であっても、やがて行き着くところは同じで、皆んなが平和な?この上なく穏やかな良い世界にいく事となる。

確かに主人が突然亡くなった時、それはどれほど無念だったかと、そこを思ったら息苦しいほどに辛い思いでした。
でも今はもう、そこには居ない。(←主人は)
私はそう確信するようにも思っていて、だからもう主人のことを心配する、身を案じることなんて無いんだ。

なんなら辛いのは(今や)私の方…?
大変なのも私の方。
そう思うくらいだよーーー‼️物申す

いつもありがとうございます!!ポチッとしてもらえたら励みになります🙏🏼↓