隠者の遠近見聞思録-2部







五・一五事件で犬養毅首相(=政友会総裁)が暗殺され、
政党政治は、事実上、ピリオドを打たれてしまった。


軍部出身の首相は不急不要の解散・総選挙を繰り返し、
政党人を疲弊させ、政党を弱体化させてしまった。

ドイツのナチス党のような一党独裁を目論むが、
やがて、それは大政翼賛会というカタチで実現する。


世情も言論界も戦時色を強め、
戦線拡大に異議を唱える者は非国民扱いされていく。


レミングの大群がフィヨルドの断崖絶壁を目指して突進するように、
日本は官民あげて戦争拡大へと突き進んでいく。


「ちょっと、待った!」と言う者は、どんどん疎外されていく。



満州事変を契機に関東軍は暴走していく。


戦線不拡大=国際協調の路線は日に日に後退し、
議会はほとんど機能せず形骸化していく。



しかし、そういう時代に抵抗し、
犬養健や王精衛などの日中の若手政治家たちは、
密かに日中和平の道を模索するが、


日中双方の軍の手先である特務機関にテロや要人暗殺で妨害され、
事態はますます混沌とし泥沼化していく。


日中関係の平和的解決を陰に陽に目論む近衛首相の方針は、
盧溝橋事件の勃発でもろくも潰えてしまう。


一発の銃弾が、
日本をあらぬ方向に引きずり運命を変えてしまった。





隠者の遠近見聞思録







このたびの自由民主党総裁選挙で圧倒的な存在感を示し、
安倍総裁のもとで幹事長を務めることになった石破茂さんの推薦書が、
この、猪瀬直樹さんの「昭和16年夏の敗戦」だった。


自由民主党、衆議院埼玉県第3選挙区(草加・越谷市)支部長である、
黄川田仁志さんの集会に講演でおいでになったときのことである。


早速、買い求めて、読んでみた。


何故、
「昭和20年夏の敗戦」ではなく、
「昭和16年夏の敗戦」だったのか・・・?!


読み進めるうちに、
哀しいほどに大日本帝国の組織的疾病が分かった。


昭和16年、
官僚・軍部・民間などから選抜された新進気鋭が、
「総力戦研究所」で対米英戦争の可否を研究・考究し尽くし、
「影の内閣」を組織して、実物の内閣と論戦を戦わしたが、
その結論は、日本の敗北であった。


昭和16年夏の時点で、
日本の敗戦は必至というのがハッキリと認識されていた。


しかし、現実は、そうと知りつつ、戦争拡大の道を驀進した。

何故に、そうなってしまったのか?


この小著は具体的かつ詳細に経緯を検証している。

コレは、ある種の、いわば、日本人論でもある。



敗戦必至の戦争に、何故、日本は突入していったのか?!


私ながら思惟してみたとき、
ある一連の著作を思い出した。

それは、戸川猪佐武さんの、「党人の群れ」全3巻である。


第一部は、「五・一五事件」である。

何故、政党政治は崩壊して、軍部独裁を許してしまったのか?


歴史年表的に表面をなぞるのではなく、
軍部、政党人、官僚、民間言論人たちの姿を描くことで、
時代特有の世相や世情を明らかにし、同時代人の感覚を与えてくれる。


まさに、近代史の私小説である。






$隠者の遠近見聞思録






「青雲の志」という言葉の響きはよい。


大志・大望を抱いて、その実現のために、

獅子奮迅の努力をするのはまことに好ましい人間の姿ではある。







$隠者の遠近見聞思録-1.






人間というものの哀しい性として、

創業のための艱難辛苦は共有できても、

創業が成ったあとの富貴栄耀栄華は共有できないもののようだ。




$隠者の遠近見聞思録-2.






論功行賞を巡って、

味方・身内のなかで内紛が起こり、

新たな争いへと発展し熾烈さを深めていく。




$隠者の遠近見聞思録-3.






創業は成っても、

守成することの難しさがそこにはある。


古今東西の歴史は、いわば、その繰り返しである。




$隠者の遠近見聞思録-4.






歴代天皇の中でも抜きん出た才幹と意志力を併せ持つ、

後醍醐天皇の出現によって鎌倉幕府は終焉し、

建武の新政という天皇親政=王政復古が実現したかにみえたが、

それはもはや時代の要請に合う統治機構ではなく儚い結果に終わった。




$隠者の遠近見聞思録-5.







時代は、すでに、武家の支持を基盤にしないことには、

いかなる統治機構も成り立たなくなっていたのだ。


「天皇=祀祭、武家=政治」という図式である。





$隠者の遠近見聞思録-6.







時代の変化を敏感に感じ取ることができたのは、結果として、足利尊氏だった。



尊氏は、その人生において、幾度も絶体絶命の死地に陥ったが、

それは彼が「征夷大将軍」になってから後のほうが多かったのである。



$隠者の遠近見聞思録-7.







征夷大将軍となり室町幕府を開いた足利尊氏であるが、

彼が払わなければならなかった犠牲や代償はあまりに大きすぎた。


たくさんの一族郎党を死なせたばかりでなく、

片腕と頼んだ実の弟を自らの手で毒殺して葬らざるをえなく、

実の息子に反逆されこれを討って追放せざるをえないハメにもなった。


それもこれも、

創業なった後の内紛を収めるためである。





$隠者の遠近見聞思録-8.







大志・大望を抱き、

その実現のために艱難辛苦の道を行くのは貴い人生ではあるが、

そうではない人生も、世の中には、ある。



創業するのさえ艱難辛苦であるのに、

その創業が成ったあと、

守成のために払う犠牲・代償もまた甚大なのである。



現代の世の、

大なり小なりの事業家たちも、

その業火に心身を焼かれているのはマチガイないのである。








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収縮経済の江戸・享保時代以降に台頭した新しい商人たちは、

地道な日頃の商いに徹していたようだ。



しかし、

そういう彼らも必要とあれば相応のリスクをおかして、

果敢な商品投機も盛んに行ったらしい。




一見矛盾するようだが、

仔細に観察するとそうではなかったようだ。



彼ら江戸中期の商人たちは、

実需による販売によって得る利益と、

商品投機によって得る利益を明確に区別していたからだ。




本来的には投機行為を否定していたが、

商売には投機がつきものであることを知っていたし、

また投機のなんたるかも熟知していた。




投機・・・、機に投ずる商行為で、

あくまでも自己の判断に基づいて自らが行う商行為であり、

その成否の責任は全て自分にある。



そのことを正しく自覚して行う投機行為は、

たとえ失敗しても自己責任で処理すればよいことだ。




また、

他者の投機行為も同じで、

お互いに勝ち負けにはイッサイ関知せず、

褒めもしないが責めもしない。



彼らはこうした認識のもとで、

商品投機にも積極的に取り組んだようだ。




米相場の秘伝書にこうある。

「小富は勤めにあり、大富は天にありといへり。

しかし、天をアテにすべからず」



米相場の秘伝書ではあるが、

その説くところは現代も変わらぬビジネスの定理のひとつだ。



昔から、商いは、

好機・商機を掴まないと大きく儲けることはできないが、

その好機・商機は、

常日頃から勤勉に働いていない者には掴めないとしている。



勤勉に働かないで、

一攫千金を夢見てもうまくいかないと説いている。


ここらあたりが、

一攫千金の幻想を売るのに忙しい近頃の入門書と違うところだ。



今風にいえば、

「チャンスは怠け者のもとを訪れたがらない」といっているのだ。



別の米相場の秘伝書は次のように書いている。



古へも、小富は勤にあり、大富は天にあるといへり。

勤さへ為さば、富まざれども貧窮の患はあるまじ。

大いに富を得る事は、運に乗じ時を得ざれば成り難し。

人間、一生のうちに、

この立身出世の運に乗ずること必ずあり。

この時をはずすべからず。

         
                 「商家秘録」







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トレーニングしなければならないのは、

メンタルよりフィジカルだなと、また、思い至る。



フィジカルの動作が心地よくないと、

メンタルの働きが大きくダウンする。



メンタル=脳(心・精神)の働きは、

フィジカル=身体という基礎の丈夫さに左右される。



強い酒を呑んで深酒をした翌朝の、

あの強烈な二日酔いの状態ではなにもできないのと同じだ。



身体の動きが快いと、

脳もよろこんで活発に活動してくれる。



アタマで分かっていてもそれだけではダメで、

肝心の身体が動かないと、結局、なにもなしえない。



何十年も前から同じことを繰り返している。

進歩しないなあ~。