$隠者の遠近見聞思録-仙人







日本の法律は、

「自力救済(ジリキキュウサイ)」を禁止している。



現にある状態が、

仮に法的に許されない場合であっても、

コレを裁判等の法律の手を借りずに私力で解決しようとする行為は、

法治国家の建前上は許されないからである。




各人各人が、それぞれに、

「目には目を、歯には歯を!」と、

私力によって物事の解決を図ろうとすると、

社会の平穏と秩序を維持できなくなるから、

コレを法律で禁止するのは蓋し当然のことではある。




しかし、

自力救済はまた、「自救行為(ジキュウコウイ)」でもある。



「自己責任論」が喧しく喧伝されて久しいが、

コレと軌を一にして、

強者の横暴と、その裏返しの、弱者の衰微が顕在化した。




ワタシは個人的に、

この国の民の妙な我慢強さには驚嘆する思いである。



昔から統治者や為政者にとってのなによりの恐怖は、

民の覚醒であり、民の叛旗のムシロ旗であった。



政(まつりごと)は機能不全に陥り、

劣化の著しい硬直した統治体制は綻びの様相を呈し、

時代の要請にあわなくなってコレも機能不全同様だ。



こうしたなかで、悪が蔓延り、人心の乱れは覆うべくもない。




もはや、

この国の民は自力救済=自救行為の時代にある。




自らの旗を掲げ旗幟鮮明にして、

闘うべき相手とは、懼れず、ひるまず、勇気をもって、

断固として闘うべき時がきた。







$隠者の遠近見聞思録-馬








関東地方は、今日、梅雨が明けましたね。

いよいよ、夏も本番ということですね。


さて、人間は、「待つ」ことが大事と思う昨今であります。

「待つ」を知ると、いくぶん、生き易くなるように思います。


「しばし、待て」ができるのが大人というものです。


私は、昨日から、待っています。

私の心の中で、ある物事が醸成するのを待っているのです。

こういう時は、いつも、それなりの本を読んで過ごすのです。


昨夜から、「豊臣秀長・ある補佐役の生涯」を読んでいます。

おそらく、今回で4度目の再読になるでしょうか、この小説。



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$隠者の遠近見聞思録-上





「小一郎秀長」というのは、かの天下人太閤秀吉の実弟で、

豊臣政権下での事実上の筆頭実力者の地位にあった人物です。


しかし、この御仁は、ほとんど自らの記録を残していません。

子がなかったこともあり、家系も早くに断絶しています。


 


「陽の秀吉」に対して、「陰の秀長」であり続けた人物です。


 
権力を巡っての親子兄弟親類縁者一家一族どうしの剋しあいは、

古今東西の歴史上、枚挙にいとまがありません。



 
そういう歴史上にあって、

この秀吉と秀長の兄弟関係は、特異かつ理想的でさえあります。



 
弟の秀長は兄の秀吉より8年も前に亡くなってしまいますが、

この御仁がもう少し長生きしていたなら、

日本史に徳川幕府という存在は有り得なかったと確信しています。



朝鮮出兵などどということも、きっと、なかったでしょう。



 
歴史に「もしも・・」は、禁物だといいますが、

それにしても、まことに惜しい人物でありました。



貧農あがりで、残念ながら、基礎的教養の不足は否めなく、

しかし、それを補ってなお余りある人格的迫力の持ち主でありました。


 
自分は決して晴れがましい表舞台に立とうとせず、それを望まず、

一途に陰の調整役に徹し、生涯を補佐役であり続けた人物でした。



 
かの黒田官兵衛嘉孝も竹中半兵衛重治もその人格を慕っています。



歴史上も現代もお目にかかれない、本当によく出来た人物でした。





実は、私は、

本当はこうした補佐役の生涯を送りたいと切に願っているのです。



補佐役としてお仕えすべき人物に、残念ながら、巡り合えません。
      






$隠者の遠近見聞思録-下






堺屋太一さんの渾身の力作であります。




マンションの1階部分の小さな庭、

テラス周りの花壇、

これを細かく区分けし自家菜園にして野菜づくりを楽しむ。



自家菜園での野菜づくりは、

野菜づくりそのものが楽しいが、

朝に夕に収穫する野菜たちを食卓に供するのはもっと楽しい。





ちなみに、

今朝の我が家の食卓はこうだ。






10分ほど前に収穫したキュウリとトマトのサラダ。

マヨラーの私はマヨネーズで食する。


$隠者の遠近見聞思録-キュウリとトマト







昨夕に収穫したキュウリとニンジンの浅づけ。

$隠者の遠近見聞思録-キュウリとニンジン







数日前に収穫したダイコンの漬物。

$隠者の遠近見聞思録-ダイコン







10分ほど前に収穫したトウモロコシを茹で上げたもの。

$隠者の遠近見聞思録-トウモロコシ








10分ほど前に収穫した茄子はミソ汁の具に・・・。

$隠者の遠近見聞思録-味噌汁








四季おりおり、

旬の野菜をいただきます。








$隠者の遠近見聞思録




「仮釈放」、吉村昭、新潮文庫




その高校教師は夜釣りに出かけたが、

かねて疑惑の妻の浮気を確認するために自宅に舞い戻り、

やはり、そこで妻の浮気現場を見ることになり、

台所の包丁で性行為中の妻を刺殺。


相手の男=知人を刺傷し、

その母親を焼殺して無期懲役の判決を受けた男が、

16年後に刑法の定めるところにしたがって仮釈放された。


いろいろな人間たちの支援を得て、

少しずつ更生の道を歩み、

お世話する人がいて結婚をしささやかな幸福生活を手にする。



しかし、なんのいたずらか、

新婚間もない妻を殺してしまうことに・・。




日本の「保護司制度」や、

保護司の仕事などがよく理解できた。


それにしても、

仮釈放で出所した人間の心理は想像を絶するものだ。


その緊張感は涙ぐましい以上のもののようだ。




人間の、

罪と罰の問題を考える。





$隠者の遠近見聞思録






 
「そうなんだな~」と、この頃、得心していることがある。


モノも場所も人間もその他諸々も、二つに線引きできる。


一方は、好感度バッチリだが、他方は、まったくその逆だ。



人間に関していえば、

5年も10年も、あるいはそれ以上の長い期間、会うことがなくても、

ある日ある時、突然、会っても、まったくそのギャップを感じさせない人がいる。




その一方で、ほとんど毎日、顔を合わせていて馴染んでいるハズなのに、

二人で差し向かいになると、とたんにギクシャクする相手もある。



 
初めて訪れる土地なのに、初めての感じがせずに、妙に懐かしく、

血が逆流するようなデジャビュー(既視感)にとらわれる場所がある。


明らかに、かつて、自分はここに身をおいたことがあると確信できる。



一方、また、仕事で何度も訪ねることがあるのに、一向に土地勘が掴めなく、

なんとなく居心地がよくなく、まったく全然、馴染めない土地もある。





「あの人が好き」というのは、

たぶん、その人にある種の「懐かしみ」を感ずるからなのだろう。



「懐かしみ」を感じない相手には、好感はもてない。



 
人間関係は相性が大事と思うが、

その良し悪しを決定づける深層には、

「懐かしみ」の情感の有無があるように感ずる。




ワタシは、他者に「懐かしみ」を感じてもらえる人間でありたい。






$隠者の遠近見聞思録