前稿で綴ったシナリオ・スケッチで交わされていたママ多恵と留美の場面に立ち
返ってみましょう。
学校で何かしら嫌な出来事が生じていて、その結果浮かない表情で気持ちが沈ん
でいた「子ども心の私」留美に対し、言葉を交わす中で直ぐに察知したママ多恵が
我が子を抱き留める「親の心の私」から発したのが「学校で何か辛いことがあった
の?」でした。
母親としての心の働きが「苦しんでいる様子の我が子を助けなくっちゃ!」との
思いが過った瞬間この一言に繋がり、その結果 “ 辛い思いをしている自分をママ
は受留めてくれる…ママは辛い思いを分かってくれるのだ ”と理解した留美は身体
を投げ出して多恵にしがみ付く結果になりました。
留美と多恵双方が「心の働き」理解が嚙み合ったことで、留美が抱えている学校
での不快な出来事への対処について解決策がその後いろいろ模索される流れに繋が
って行きます。そこには互いの「心の働き」を知って受留めたればこそ、問題解決
への切っ掛けになったと言えるでしょう。
私たちの日常の様々な場面や状況から生じる対人関係の問題の根底には、常に互
いの「心の働き」理解が求められている所以であり、双方が自分に向けられた「心
の働き」を理解して受留めることによって互いの結びつきが深まって行きます。
逆に、互いの「心の働き」を理解しないままではそれぞれに時間と共に互いを遠
ざけ或いは人間関係がこじれ、疎遠になって行きます。子育て期にあっては、当に
日々の暮しにあって常に子どもと関わるママやパパの目配り気配りが決して疎かに
出来ないことを思わざるを得ません。
そしてこれは又子育てに留まらず学校での先生と生徒、そして生徒間での学校生
活においても対人関係と言う点では変わりない筈です。
次稿では、その辺りを学校教育の視点から如何捉えられているのかを追ってみた
いと思います。
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