【2024年2月29日(木曜日)】
※岡崎・西尾・御津・豊川・豊橋、【日帰り弾丸ツアー】(吉良上野介の吉良潘『黄金堤』編)
先程の、【国道248号線】を、南方面へ!
この、【ジャパンレンタカー】の塔、凄いね!
次の交差点は、右折して【西尾方面】へ!
また、【岡崎市】へ入る!
【県道42号線】(西尾市下羽角町)
うなぎ割烹みかわ【三水亭】西尾東店は、左折
【吉良】の標識が、出て来た!
12時45分、目的地の【黄金堤】へ、到着!(距離79.1km滞在時間12:45〜13:10※25分間)
【黄金堤】(くるりんバス停)
【吉良の里】
〒444-0531 愛知県西尾市吉良町岡山下り松 黄金堤




名君 吉良上野介義央公が創った堤防。桜の名所としても有名 赤穂浪士討入り事件で討たれた吉良義央公の領地の大部分は現在の西尾市吉良町にありました。地元では数々の善政を敷いた名君として愛されています。 言い伝えによると、当時この辺りの村は大水のたびに被害に苦しんでいました。義央公は水害から領地を守るため、領民とともに長さ約180メートル、高さ約4メートルの堤防を一夜で築いたといわれます。その後は水害がなくなり、良田となったことから、人々はこれを「黄金堤(こがねづつみ)」と呼んで遺徳をたたえました。 現在は桜の名所としても知られ、3月下旬から4月上旬にかけてはライトアップも行われます。


 





 

【黄金堤】を歩く!その一、

【黄金堤】を歩く!その二、











🌸桜の満開の時期に、また来ないと行けない!
 


でも、やっと計画してから、1年3ヶ月後に、【黄金堤】に来ることが出来た!







ここで【堤】は、行き止まりになっている!























中世、この地一帯は深い淵となっており、淵の西背撫山のすそに、岡崎街道が開かれていた。
 永禄3(1560)年、桶狭間合戦後、今川と縁を絶って独立し、織田と結んだ松平元康(後の徳川家康)は、祖父清康、父広忠以来の深い姻戚の吉良氏を攻めることになりました。
 永禄4(1561)年4月15日、この街道を中心に吉良方と松平方が激突します。山腹に塀をひそませた吉良方の策に陥り深追いした松平方は淵に追い落とされて大部分が戦死します。
 危く切り抜けた松平方主将深溝城主・松平好景も、これまでと自刃し、吉良方の大勝に終りました。
 この合戦によって、淵の底に沈んだ将兵鎧や武具がその後しばしば引き上げられたため、この淵を鎧ヶ淵と呼び、この戦いを鎧ヶ淵の合戦と称するようになりました。
 ちなみにこの合戦で松平好景配下の武士が甲冑を掛けた鎧掛けの松と、好景が腰かけた蛇枕石というのがありましたが、明治時代以降の新道工事で枯れかけていた鎧掛けの松は取り除かれました。このことを記した記念碑も近くにありました。


【黄金堤】を、出発する!

【蒲郡市内】へ、入る!
【ラグーナテンボス】
【LAGUNA】
【大観覧車】
【三河湾】







昔、クルーザーを持っていた時に、停泊していた【御津マリーナ】へ、到着!



岡崎・西尾・御津・豊川・豊橋、【日帰り弾丸ツアー】(⚓御津マリーナ内、🌊海の見える🍴イタリアンレストラン『ブルーモーメント』編)へ、続く!


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