福岡県 鞍手郡 鞍手町の音楽教室
みずま音楽教室
こういうことを綴ると「私は気づいていますよ!のマウント?」「気づいたことを発信している私、凄いでしょ?エライでしょ?」って受け止める人もいらっしゃる…のだろうなぁ…と思います(世の中には色んな人がいらっしゃいますからね…それも含めて人間って味わい深いのですが^^;)
因みにワタシはコロナ禍で降って湧いてきた『目覚めちゃった系』ではありませんので、誤解なきようお願い致します(^^;;
でも…
今回綴ることは私の独りよがりな見解ではなく、一部は世界基準的にアウトなことなので…
という訳でこの見識が少しでも広がれば良いな…という思いよりも『願い』で綴ります(とは言え実例は伏せます)
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とある習い事の先生をされているお2人
私とそのお2人はほぼ同じ世代…と、ココまではお伝えさせて頂きます
因みに私はお2人共にお会いしたことがありません(先生双方もお会いしたことがないはず)
そのお2人(AさんとBさんにしましょう)が時折発言されるお言葉がかなり前から気になっていました
それは差別用語と属性偏見
厳密にいうと
Aさんの発言は差別用語なのですが…色々と調べてみると、その言葉はAさんのお住まいの地域の方言として一部使われることもあるそうです
ただし方言と言ってもその言葉を使う人の年代もあると思います
例えば…「この前おばあちゃんから『◯◯ちゃん、アナタ靴下がカタ◯ンバよ?』って言われたけどカタ◯ンバって何?」など
片やBさんの発言は完全アウトな『属性偏見』の一つ
実はこの『属性偏見』が非常に厄介なのです
何故かというと直接的な差別用語ではないけれど、差別を生み出すきっかけになりやすく(属性+主観によって偏った、又は誤った判断をする→ココに威圧的な言動が加わると『属性ハラスメント』になる)海外では完全にアウトの表現と思考になります
実は日本において属性偏見が差別の助長になることを知らない・気づいていない人が殆どで、特にBさんの仰る『属性偏見』は世界中を見ても日本特有のモノなのです(その属性に対して海外の方は何の関心も持たないし、逆になぜその属性への特別視を用いて“人について”語るのか?を決して良しとはしない)
つまり「なぜコレが偏見なの?」と疑うくらい、この『属性偏見』が私たちの日常生活の中に、日常会話の中に入り込んでいるのです(情報バラエティー番組の一コマにさえ入っている)
「この国に人権はあるのか?」
最近さまざまな場面でこの言葉を耳にし、目にしますが…私もこのことをずっと考えています
多分…間違いなくAさんもBさんもご自身が差別や偏見に触れた発言をされていらっしゃるなんて全く気づいていないと思いますし、特に後者の方に関しては先述のように「なぜコレが偏見なの?」とさえ思われるでしょう
万が一その偏見がご自身に向けられた“自虐的表現の一つ”だった場合「誰かに向けた言葉じゃないから良くない?」と思われるかもしれません
しかしそれこそがとても厄介なのです(・・;)
『属性』というようにそこに属する人々は(因みに私たちは社会的にも人種的にも肉体的にも性的にも一切何にも属さないなんてことはあり得ない)日本中、いや世界中に存在するのですから、結果的にそこに属している人・又は意図せず属している人に対する無意識の視点・認識=自虐の視点なのです
つまり自虐って他人をも傷つける可能性がかなり高いのです(その人の認識が見えるから)
ただし、その視点を持つことは心の中だけで思うこと…つまり『内心の自由』であれば良いんです
「良い」というと語弊がありますが、結果的に誰にも知られないし誰も傷つかない
要はその視点を外へ向かって表現すること…特定の誰かを名指ししなくても、声や文字で表してしまえばワタシはその視点を持ち合わせている・判断している人間です!と公に『宣言』をしていることと同じになってしまう
だから属性偏見と自虐表現と無意識(無自覚)が重なった時、そしてそれらを外へ表した時って物凄く厄介なのです
私も含め指導者・先生と呼ばれる立場の方や公人の方(政治家なんて正にそう!)、学校の先生方もそうですが…皆さんの言動や思考が神や仏や仙人のように全てを達観していたり万能でも完璧でも正解でもないと思います
人間だから間違いや勘違い、知らないこともある
お2人は共に多くの方に慕われ、信頼され、尊敬され、眩しい程のご活躍をされていらっしゃる方々です
私たち人間には『学ぶ』という知識の補填・アップデート・修正の機会をいつ何時も与えられていると思います
ですからいつかそのお2人が気づいてくださることを強く願っていますし、またお2人の周辺にいらっしゃる最も身近で信頼されている方も(お2人それぞれが“属される場”のお仲間さんやお友だちやご家族等々)これらの発言に対してお一人でも「その発言はちょっとマズイよ?」と違和感を抱く方はいなかったのかな?(少なからずとも)福祉の世界と関わる者としてAさん・Bさんに限らず、皆さんに気づいて頂けたらと祈るような気持ちでいます
私自身も知らないことや間違いはたくさんあります
だからアンテナを張って、自覚して、日々アップデートしなければと思っています
当事者の心の中に土足で入り込み、傷つけ、『分断することの見過ごし=加担』はしたくないから
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属性偏見が差別を生み出す一例が正にこの件であり
人の生きる権利を踏み躙る最悪の実例とも言える件
これがG7加盟国である日本の姿です
国の中枢にいる人間が、ど真ん中の人権無視を言っている国ってG7で唯一日本だけでしょう
立憲民主の西村ちなみ議員の質疑に対する岸田首相の「社会が変わってしまう。」という答弁は、耳を疑うほど本当に酷い発言だったけれど、正にアレこそが彼らの本質なんです
多様性を最も嫌い、家父長制や家族制を理想とする日本最大のとある団体の会員=岸田総理ならば、この考えも発言もさもありなんです(過去と現在の首相・大臣クラスの殆どの議員が属しており、中でも自◯党議員の多さたるや…差別・侮蔑・失言常習メンツであり、その差別の根幹となる偏見が『何に対する恐れなのか?』を知ると「(なぜ人権無視発言をするのか?という疑問にも)なるほど…」と納得ができます←決して納得してはいけませんが)
彼らが恐れていることってなんだと思いますか?
つまりそれは『人を人として認められない自分たちの弱さ』
マイノリティーに対して『抑圧・排除でコントロールをしようとする自分たちの弱さとマウント』でしかないのです(弱さを抱えた自分たちが社会的弱者に対してイジメをする…つまり弱者が弱者を虐める構造)
社会的弱者に声と力と人権を与えてしまうことは、自分たちの価値観・権力・イニシアチブ・立ち場を崩されてしまうのでは?と、彼らはそれが怖くて怖くて仕方がないのです
実に酷いでしょ?
実にくだらなくて愚かな思想でしょ?
因みにこの考え方は男性限定ではありません
女性が女性を差別するパターンも多いので、例の団体には女性会員も存在します
この団体の思想は時代に反するなんてそんな生ぬるい表現ではないほど危うい…だからこそ、この団体に対して私は属性偏見ではなく『人権無視に対する批判』をします
女性・子どもの人権を無視し、社会の少数単位を個人では無く家族とする思想だからこそ、この日本社会には『女性・女性の人権、子ども・子どもの人権』が存在しないのです(『こども庁』が『こども【家庭】庁』に名称変更になった理由も『家父長制や家族制復古の象徴』であり、例の団体やその流れを組む『親◯』は「子育ての責任は家庭であり、主に母親の責任。発達障害は親の責任。女は家庭に入って子育てに専念せよ。」が彼らの謳い文句)某宗教団体も女性・子供蔑視ですものね
男性の存在しか認めない思想だからLGBTQの方々の存在も認めるワケがないし、生殖としての組合せでしか婚姻を認めない
いっそ日本は諸外国から猛烈なバッシングを受けてG7から除名されたら良いとさえ思います
この国は先進国でもなんでもないと思います
この国に住む人を守れないほど後退し
衰退をしていると思います
自分のセクシュアリティに悩み
属性偏見で苦しんでいる人たちに対し
首相秘書という国の中枢にいる人間が
「隣に住んでいたら嫌だ。見るのも嫌だ。」を
言えてしまうその排除主義は何なのだろう
もし自分のセクシュアリティに
心が揺れ動いている少年・少女たちが
この言葉を聞いたら
どれほどの絶望感を抱くだろう
なぜ人の生きる権利と幸せを認め
そのことを守る国になれないのだろう、この国は
この発言も貼っときます
あまりにもひどいので