2週間くらい前から、何をということではなく、全てを手放したいというのが出ていました。
腹の底からという言葉がありますが、それより深く、魂の底から出ていたという感覚でした。
とくに2/26の満月の日は、予定もキャンセルして、全てを手放す気持ちでした。
時間軸では前後しますが、その日までに、直感に従ってお会いしてみたいと思っていた方にアポをとり、受けてみたかったワークを受け、メッセージしたい方にメッセージをして、静かにしていました。
アプローチしたものは全て、手放す方向でのことでした。
そして満月前夜、2/26の0:00を迎える少し前のこと。
お会いしてみたいと思っていた方に話したいことは・・・と思いをめぐらしたとたん、出てきたのが「欠落感」という言葉でした。
それと同時にぐぅあ~んエネルギーが動き、感じないようにしてきたものが動きました。
「欠落感」を感じないようにしていたことに、気づいたのです。
第1チャクラのさらに深くから、全身に広がった「欠落感」を感じます。
さらにしっかり感じていくと、どんどんチャクラが熱くなっていきます。
血流もよくなります。
同時に見えてきたのが、幼い頃の母とのワンシーン。
当時、母は父とうまくいっておらず、ノイローゼ気味だったと言えるでしょう。
母はよく、幼いわたしにすがり、
「あなただけは、ママの味方よね。」
と泣きながら言っていました。
繰り返し繰り返し母に言われるたびに、その言葉は呪文のように、私の奥深くに浸透していきました。
このシーンに関するチャージ(思い込み)は、何度もいろいろな角度で解消してきました。
でも、再度、このシーンの登場です。
さらに深く、そのときの私の中にできてしまったチャージが見えてきました。
私は母にとって、父の代わりなのだ。
つまり、私は母にとっての夫にならなければならない。
私は結婚できない、だから仕事を頑張るしかない。
というものでした。
チャージやトラウマは、母親の胎内に降りてきたときから、生まれて成長していく過程で、様々にできてしまうものです。
誰しも様々なチャージがあります。
ですが、私にとってこのシーンは、人生の半分が欠落したような絶望感をもたらしたことに気づきました。
自分の意志とか、決定権を失ったような感じとも言いましょうか。
それが深く深く根づいていました。
「欠落感」は、感じても感じても、底なし沼のようです。
集合意識からの「欠落感」も感じます。
終わりのない恐怖です。
でも逆に、感じれば感じるほど、身体は暖かく、血が巡ります。
「欠落感」に、やっとふれることができたという喜びもあります。
そして、感じても感じても「欠落感」は消えません。
じっとり汗(笑)
そのとき、2/26満月の日の0:00を越えました。
突然、
「欠落感」
が、離れました。
徐々に徐々に、「欠落感」が離れていきます。
どこから?
と観ても、どこからでもありません。
身体から?でもないし。
自分から?とも違うし。
ただ、何もない空間の中で、「欠落感」が離れていきます。
あ、離れた。
そのまま、離れていく「欠落感」を観ていました。
なんとなく虚無感のような感覚がありましたが、それはそのままにして眠りました。
それをどうするということもなく、数日が過ぎると、
深いところから幸せが感じられてきました。
言葉にすると
「結婚している」
です。
現実がどうかということではありません。
「結婚している」という感覚なのです。
「欠落感」は欠落感ではなく、
マインドでした。
バガヴァンは「マインドの中心は恐怖です」と言っています。
そのとおりです^^。
腹の底からという言葉がありますが、それより深く、魂の底から出ていたという感覚でした。
とくに2/26の満月の日は、予定もキャンセルして、全てを手放す気持ちでした。
時間軸では前後しますが、その日までに、直感に従ってお会いしてみたいと思っていた方にアポをとり、受けてみたかったワークを受け、メッセージしたい方にメッセージをして、静かにしていました。
アプローチしたものは全て、手放す方向でのことでした。
そして満月前夜、2/26の0:00を迎える少し前のこと。
お会いしてみたいと思っていた方に話したいことは・・・と思いをめぐらしたとたん、出てきたのが「欠落感」という言葉でした。
それと同時にぐぅあ~んエネルギーが動き、感じないようにしてきたものが動きました。
「欠落感」を感じないようにしていたことに、気づいたのです。
第1チャクラのさらに深くから、全身に広がった「欠落感」を感じます。
さらにしっかり感じていくと、どんどんチャクラが熱くなっていきます。
血流もよくなります。
同時に見えてきたのが、幼い頃の母とのワンシーン。
当時、母は父とうまくいっておらず、ノイローゼ気味だったと言えるでしょう。
母はよく、幼いわたしにすがり、
「あなただけは、ママの味方よね。」
と泣きながら言っていました。
繰り返し繰り返し母に言われるたびに、その言葉は呪文のように、私の奥深くに浸透していきました。
このシーンに関するチャージ(思い込み)は、何度もいろいろな角度で解消してきました。
でも、再度、このシーンの登場です。
さらに深く、そのときの私の中にできてしまったチャージが見えてきました。
私は母にとって、父の代わりなのだ。
つまり、私は母にとっての夫にならなければならない。
私は結婚できない、だから仕事を頑張るしかない。
というものでした。
チャージやトラウマは、母親の胎内に降りてきたときから、生まれて成長していく過程で、様々にできてしまうものです。
誰しも様々なチャージがあります。
ですが、私にとってこのシーンは、人生の半分が欠落したような絶望感をもたらしたことに気づきました。
自分の意志とか、決定権を失ったような感じとも言いましょうか。
それが深く深く根づいていました。
「欠落感」は、感じても感じても、底なし沼のようです。
集合意識からの「欠落感」も感じます。
終わりのない恐怖です。
でも逆に、感じれば感じるほど、身体は暖かく、血が巡ります。
「欠落感」に、やっとふれることができたという喜びもあります。
そして、感じても感じても「欠落感」は消えません。
じっとり汗(笑)
そのとき、2/26満月の日の0:00を越えました。
突然、
「欠落感」
が、離れました。
徐々に徐々に、「欠落感」が離れていきます。
どこから?
と観ても、どこからでもありません。
身体から?でもないし。
自分から?とも違うし。
ただ、何もない空間の中で、「欠落感」が離れていきます。
あ、離れた。
そのまま、離れていく「欠落感」を観ていました。
なんとなく虚無感のような感覚がありましたが、それはそのままにして眠りました。
それをどうするということもなく、数日が過ぎると、
深いところから幸せが感じられてきました。
言葉にすると
「結婚している」
です。
現実がどうかということではありません。
「結婚している」という感覚なのです。
「欠落感」は欠落感ではなく、
マインドでした。
バガヴァンは「マインドの中心は恐怖です」と言っています。
そのとおりです^^。