先日、大学講義で「共依存」の話をしました。
「共依存」という言葉は、アルコール依存症の夫と、夫から暴力を受けても離れていかない奥さんとの関係性から生まれてきた言葉です。
周りは「働かず暴れる夫など早々に見限れば良いじゃないか❗」と思っても、奥さんはそうしない。
「この人には私が必要なんだ」と思い、「働かず飲んだくれの夫を支える献身的な妻」という役割を全うする事に自分の存在意義を見出してしまうのです。
この一面だけを見たら「奥さんはなんて優しい人なんだ❗」と思われるかもしれません
更には飲んだくれの夫が、「このままではアカン」と思い、働き口を探そうとし始めると…「そんなに無理をしなくても大丈夫。もう少しゆっくりしてからで良いよ」と優しい言葉掛けまで出来ちゃうのです…(これをイネイブリングと呼びます。詳しくは過去の記事を参照ください)
旦那の不甲斐なさを嘆きつつ。暴力を「困った事」だと対外的に訴えつつも…。奥さんにとって旦那は、妻の支え無しには生活もままならないダメ夫で居続ける必要があるのです。
旦那側も「頑張らなくても良い」と言って貰えると楽なので、ダメ夫で安住してしまう
これが共依存です。
「共依存」は決して健全な関係ではありません。
だけど「あなたが私の生きる意味」みたいな感覚。誰しも多少は持った事、ありませんか❓
「誰かに寄りかかって生きる」
これは褒められた行動ではないかも知れない。だけど、そうしたい時。そうしないと生きるのが難しいと感じてしまう時もありますよね
だから…そんな「弱さ」を認めつつ。
だけど時には「手放す」事の大切さも理解していく。
「共依存」は異性(夫婦)関係に限らず、友人関係、親子関係でもある話。
決して他人事ではありませんよ。
共依存から抜け出す事は自分の存在意義を失う不安にも繋がるため、現状をしんどいと感じつつも、しがみつきたくなる
そういうものです
直ぐに上手く手放せなくても、あまり自分を責めないでください。
だけど勇気を出して手放したその先には、お互いの個を尊重した上での新たな結びつきが待っていますよ
だから一歩ずつ。前に進んでいけると良いですね
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