父の入院で急きょ母との同居生活が始まった訳ですが、父は結局、最初に入院した基幹病院(急性期病院)に1ヶ月。後に転院した療養型のリハビリ病院で2ヶ月入院しました。

ベッドで寝たきり生活を送っていたため、症状が落ち着いて以降もADLは低下したまま。最初の病院入院中に要介護認定の申請を行った時は「要介護4」と認定される程でした(最大値5の1つ手前で、ほぼ寝たきり状態でしたあせる)。

父は母と実家での二人暮らしは無理と判断し、父からは割と早い段階から、退院後に入所出来る施設を探して欲しいと頼まれていました。なので2月に入り、大学の仕事が落ち着いて以降は、施設探しに翻弄される生活となりましたあせる(次回は施設探しの事を書きたいと思います)


その頃の母は、衣服は着る順番に並べるだけで、一人で着替えが出来ました。

トイレは夜中に何度か行き、水を流したのか分からなくなるのか、何度も水を流すので、母のトイレの度に私は目が覚めてしまいましたあせるしかし心配症で何度もトイレに行く分、失禁は無く、そこは助かりました。

心配症だった分、突然家を飛び出す事も無く、家ではいつもタロー(ポメラニアン)と一緒に居てくれたので、そこも本当に❗助かりました。

母は忙しそうにしている私を見て「タローの散歩は私一人で行こか❓」といつも言ってくれました。しかし慣れない土地で迷子になられては困るので、必ず私か夫のどちらかが、散歩には同行していましたあせる母はこの散歩の時間がとても楽しそうでした照れ


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