前回、父が急きょ入院になったとお伝えしました。

その時は、事態がこれ程、急展開するとは思ってもいませんでした。

母と一緒にお風呂に入った後、母には当時ゲストルームとして使っていた部屋で犬のタローと寝てもらい、私もようやく眠りに就きました。

明け方、4時頃だったでしょうか。私の携帯が枕元でブルブル響きました。父の容体が急変したという病院からの連絡です。

飛び起きて、家族みんなを起こして、母も連れて、急いで病院へと向かいました。

病院に着いた時、夕方装着していた簡易の酸素マスクから、やけに重装備な酸素マスクへと変更されていました。圧をかけて、確実に肺へ酸素を送り込む装置という説明だったと思います。(うろ覚えでスミマセンあせる

基幹病院であったから、そういう装置があった事。コロナ流行の前年度であったから、その装置が父に使用出来た事。そうした奇跡の重なりで、父は一命を取り留めました。…が、実はその後も、その装置装着でも、ヤバい時は何度かありましたあせる

最初の呼び出しから半日も経たないうちに、次は人工呼吸器装置を打診されましたあせる「次、危ないと、命の保証は出来ない。どうしますか❓」と電話口で聞かれましたが、即答は出来ませんショボーン

一人で決断するには重すぎたので、兄達の考えを確認してから、「今以上の治療は結構です」と病院に伝えました。

「どこまで治療をするのか」

こういう事は、事前に家族間で話し合っておかないといけませんねあせる

私達は、父のいつもの生き方を考え、父は望まないだろうと判断し、人工呼吸器を断りました。

結果的に父は危機を脱してくれたので、あの時の選択の是非を確認したところ…。父はやはり「それで良い」という返答でした。いや、返答はそれ以上で、圧のかかった呼吸器があまりに苦しかったようで、それすら要らんかったと言われてしまいました…ガーン


父と母の二人暮らし。

母の認知は進んでいましたが、環境が変わらなかった分、まだマシだったのだと思います。

あの頃の母は、父が入院している事も、自分がなぜ今、ここに居るのかも分からない。混乱だらけだったと思います。寝泊まりしているのが娘の家だという認識が欠ける事もあり、「お金を持って無いから、お宿代が払えない。どうしよう」とオロオロしていた朝もありましたから…あせる


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