2022年6月13日参拝。
羽根倉浅間神社 &
羽根倉富士嶽
東武東上線・志木駅東口よりバス。
【国際興業バス】「宗岡蓮田」下車3分。
「敷島神社」からは3km弱の距離にあります
鳥居。
神額。
鳥居をくぐって左手に
手水舎
水盤に水はありませんでした
志木市上宗岡に鎮座。
社伝によれば、建久4年(1193年)、征夷大将軍・源頼朝が家来を集めて富士の裾野で大がかりな巻狩 (まきがり)を行いましたが、その際に宗岡の村人も勢子(せこ=鳥や獣を追い出す役) として召集されました。
この代償として、翌年の田の年貢が免除されたので、喜んだ里人はこれを記念して字大野の地(荒川堤外)に塚を築き、祠を建てて富士浅間社を祀ったのが起源とされています。
この巻狩については、『鎌倉殿の13人』にも出て来ましたね。
まさか志木からも村人が駆り出されていたとは、驚きです
参道の両サイドには、手を合わせた
神使の猿
その後、長禄年間(1457~1460年)の荒川の大洪水の際に、祠が羽根倉(現在の羽根倉橋の上流)に流れ着いたことから、神がこの地にお住みになりたいとのご意思と考え、当地に社殿を建立し、祀るようになったとのことです。
拝殿
【御祭神】木花開耶姫命
神額。
天水桶。
石燈籠。
「浅」という文字が抜いてあるのが素敵な燈籠です
明治の神仏分離後に村社に列格。
昭和になって、字十人野の稲荷社、字大野の浅間社、字蓮田の稲荷社、字東前の八幡社の無格社4社が合祀されました。
屋根付きの瑞垣の中に、
ご本殿
境内社は、稲荷社・八幡社・御嶽社との情報がありましたが、どの社殿がどれかわからないものもあります。
そもそも、御嶽社は合祀された中には入っていませんでした
これが御嶽社か
これは稲荷社🦊ですね。
少し大きめの社殿が2つ並んでいます。
向かって右が八幡神社。
こちらがもう1つの稲荷社🐺でしょうか
その他、仏教的石造物がいくつか並んでいました。
社殿の左手に、
羽根倉富士嶽
志木市の有形民俗文化財です。
高さは4m。入山は不可です。
江戸時代に結成された丸藤講(まるとうこう)が中心となり、約9年間を要して、明治13年に現在の堤外地(荒川河川敷)に、約10mの高さの塚が築造されました。
昭和4年、荒川の改修工事により堤内の字蓮田の地に遷座。
さらに、昭和45年、県道浦和所沢線の開通により再び遷座し、現在の地に落ち着きました。
獅子山。
自宅から自転車で行ける範囲内にあるのに、今年まで存在を知りませんでした。
移築により当初の10mから4mになってしまったので、田子山富士に比べて低く裾野が広い感じの富士塚です。
周囲を簡単に一周出来るのがよかったです。
石造物も、田子山富士にはないものもあったりして、興味深かったです
最後までお読みいただき、ありがとうございました
次回が富士塚特集のラストです