2022年5月4日参拝。
鎌形八幡神社
東武東上線・武蔵嵐山駅西口より
【イーグルバス と02】せせらぎバスセンター行「鎌形」下車4分。
または、
【イーグルバス と01】せせらぎバスセンター行「植木山」下車12分。
※どちらも本数があまりありません。(2時間に1本くらい)
武蔵嵐山駅西口から歩くと、40分くらいかかります。
GW中の日帰りドライブで、夫に車で連れて行ってもらいました💨
社号碑には「郷社 八幡神社」。
一の鳥居。
背後が森のため、あまり後ろに引いて撮影出来ません
二の鳥居。
森の中の、緑豊かな参道です。
「鎌形八幡神社」は、比企郡嵐山町鎌形に鎮座。
都幾川のすぐそばで、西に塩山を望む景勝地です。
「比企郡」と言えば、大河ドラマ『鎌倉殿の13人』で佐藤二朗さんが演じている、比企能員(よしかず)。
比企氏の始祖である比企能貴が、武蔵国比企郡に住んでいたことから「比企氏」と称しました。
隣村の大蔵には源義賢が居住したと伝わる大蔵館跡があり、菅谷には畠山重忠が居住したと伝わる菅谷館跡があります。
少し北、槻川と都幾川の合流点近くには嵐山渓谷もあります。
上から覗いてみたら、GWなのでバーベキュー場はものすごい人出でした
当社の西南には木曽義仲が出生したという木曾殿屋敷もあり、源家と縁が深い土地なのです。
私の通った高校はこのすぐ近くで、嵐山渓谷にも菅谷館跡にも、高校から歩いて行きました。
畠山重忠は、『鎌倉殿の13人』では中川大志くんが演じていますね
大きめの石燈籠。
神門。
神門の両側は舞台のようになっています。
他に神楽殿はなかったので、もしかして神門が神楽殿も兼ねているのかもと思いました。
この風景に見覚えはありませんか
私がどハマりした、前回の大河ドラマ『青天を衝け』のロケ地。
ドラマの中では「血洗島諏訪神社」として使われていた神社です。
本物の「血洗島諏訪神社」へは昨年行きましたが、ロケ地のここも、雰囲気が良くて来てみたかったのです
栄一が千代にプロポーズしたのもここですし、獅子舞もここで撮影されました🎥
手水舎
水盤。
清水が竹の樋を通って、水盤に注ぎ込み、さらに水盤の外へ流れ出しています
とても気持ちのよい手水で、心身を清めることが出来ました
「鎌形八幡神社」には3つの嵐山町指定文化財があります。
《文化財①》
伝木曽義仲産湯の清水。
駒王丸(木曽義仲)は、父・源義賢が大蔵館に移り住んだ仁平3年(1153年)に誕生したと伝えられ、
この清水は、母・小枝御前が近隣の7つの清水を集めて産湯を沸かした「七清水」の1つと伝わっています。
他の6つは枯れてしまい、現在は当社に残るものが唯一です。
木曽義仲産湯清水の石碑。
翌年の大蔵合戦で、源義平に父の義賢が討たれ、駒王丸(義仲)は、畠山重能(畠山重忠の父)・斎藤実盛らの計らいで信濃国木曽へ逃れ、乳母夫の中原兼遠のもとで育てられました。
木曽義仲は、『鎌倉殿の13人』では
青木崇高さんが演じていましたね
急勾配の石段を上ります。
『鎌形八幡宮縁起』によると、延暦12年(793年)、征夷大将軍・坂上田村麻呂が東征に際して、塩山に筑紫の「宇佐八幡宮」を勧請して創建したと伝えられます。
武門・武将の神として仰がれ、
「源頼朝及び尼御前の信仰ことのほか厚く」
と縁起の中にもあります。
源頼義・義家親子も東征に際して尊崇し、源義賢・義仲・義高三代に関する伝説も多く、源氏の氏神として大切にされて来たことが伺えます。
建武の中興後の戦乱により社殿が焼失し、木曽義仲清水伝説の残る当地に遷座し再建されたと伝わっています。
拝殿
【御祭神】
誉田別命
比売大神
神功皇后
神額。
拝殿の扉が素朴でいい感じ
榊が青々としています
細かい彫刻が施され、褪せてしまっていますが、彩色もされています。
御神木
奉納額。
これってお蚕様の繭ですよね
《文化財②》
拝殿が、丸ごとご本殿を覆う覆屋を兼ねる形です。
ご本殿の建立年代は、棟札に
「奉再建立正八幡宮御神殿于時寛延二己巳暦三月朔日遷宮」
とあり、寛延2年(1749年)であることがわかりますが、それよりも古いと思われる部材や、逆に新しい材もかなり含まれ、幾度かの修理を経ているようです。
簡素な一間社流造で、装飾性の少なさからも古い様式を伺わせます。
※嵐山町教育委員会掲示より。
神仏習合の流れもあり、中世には修験の地としても繁栄。
御神体として「僧形八幡神像」(僧侶の姿形をもって表された八幡神の像。)を祀っていました。
伝教大師の作とされますが、現在は所在がわからなくなっています。
覆屋の3面下部には、紙垂の付いた注連縄が張られ、合計15の扉と御幣がありました。
御祭神は三柱のはずですが、これはどういうことなのか…
「鎌形」という名称は、『鎌倉』の「鶴岡八幡宮」に社殿が似ているからという説があるそうです。
境内社をご紹介します。
八坂神社。
【御祭神】素戔嗚尊(牛頭天王)
瀬戸神社。
【御祭神】大山祇命
「瀬戸神社」というのは、あまり馴染みがありませんが、神奈川県・金沢八景にある神社です。
「瀬戸」とは、両側から陸地が迫った小さな海峡のこと
潮の干満の差により内海の海水が渦を巻いて出入りし、激しい流れが生じます。
古代の人は水流の激しい「せと」を、罪穢れを流し去ってしまう神聖なところであるとして、豊かな幸をもたらしてくれる神々を祀りました。
これが「瀬戸神社」の起源とのことです。
源頼朝は、伊豆での挙兵にあたって御利益を蒙った伊豆「三島明神(三島大社)」の分霊を、「せと」の聖地に祀り篤く信仰しました。
無人社ですが、全ての境内社の社殿前には、お揃いの榊立てに真新しい榊が供えられていました。
素晴らしいことです
白和瀬神社。
【御祭神】日本武尊
「白和瀬神社」というのも初耳でした
福島県福島市にある神社です。
①烏帽子岳麓から流出する水が白淡するという白淡川(八反田川)による【白和瀬説】。
②往古、土人が始めて居住した際、神が土人に白い早稲を給わったという【白早稲説】。
③御祭神が日本武尊であることからの【白鷲説】。
などの説があるそうです。
八反田川の水によって稲が豊作であったことに感謝して祀られたのが「白和瀬神社」とのことです。
天満宮。
【御祭神】菅原道真公
山の神。
【御祭神】大山祇命
※木花咲耶姫命を祀っているところもあります。
石段上からの風景。
参道の右手、手水舎の手前に、池があって橋が架かり、中島にも境内社があります。
当然、厳島神社かと思いきや…
金比羅神宮でした。
【御祭神】大物主神
「金比羅さん」は、漁師や船員など海事関係者が航海の安全を祈願する他、
海上武人の信仰も篤いのです。
神池の中島に金比羅神社は珍しいですが、厳島神社(宗像三女神)同様、金比羅神社も海上交通の守り神です
反対側、参道の左手にも境内社。
高さに対して横幅の大きい神明鳥居です。
護国神社。
《文化財③》
2枚の懸仏。
当社には2枚の懸仏が奉安されており、県内に所在する懸仏の中で、最も古い紀年銘を持っています。
「懸仏(かけぼとけ)」とは、
鏡面に立体的な仏像や神像を貼り付けたもので、建物の内陣に掛けて礼拝の対象にしたもの。
吊り下げるための金具が設けられています。
本来は「御正体」といい、神仏習合により神の本地として各種の仏が表現されています。
2枚のうち、
●安元2年(1176年)の銘がある懸仏は径18cmで、中央に阿弥陀如来座像が鋳出されていて
「奉納八幡宮宝前 安元二丙申天八月之吉 清水冠者源義高」
と刻まれています。
ですが…源義高は木曾義仲の嫡男で、安元2年にはまだ生まれていません。
●貞和4年(1348年)の銘がある懸仏は径17cmで、薬師如来座像が鋳出されていて、
「渋河閑坊 貞和四戊子年七月日 施主大工兼泰」
と刻まれています。
「鎌形八幡神社」への参拝は、昨年の大河ドラマ『青天を衝け』の大ファンだったため、ロケ地となったことがきっかけでした。
ですが、どちらかと言えば、現在放送中の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』のほうが、ゆかりのある神社でした。
森の中の素晴らしく良い気の神社でした
交通の便は良くないですが、是非皆さまにも訪れて欲しい神社です
最後までお読みいただき、ありがとうございました