2021年11月27日参拝。
野宮(ののみや)神社
JR山陰本線・嵯峨嵐山駅より徒歩8分。
嵯峨野観光線(トロッコ)・嵯峨駅より徒歩8分、嵐山駅より徒歩6分。
京福嵐山本線・嵐山駅より徒歩6分。
阪急嵐山線・嵐山駅より徒歩15分。
黒木鳥居。
黒木鳥居=樹皮のついたままの鳥居で、日本最古の鳥居の様式です。
「野宮神社」では、古くから鳥居の用材にクヌギを使用し、3年毎に建替をしてきました。
昔は日本各地に見られた黒木鳥居も、保存の難しさや、クヌギの原木の入手が困難になったことから、現在は日本で唯一「野宮神社」だけが黒木鳥居を残しています。
神域は、クロモジの木を使用した小柴垣で囲まれています。
鳥居をくぐって左手に、井戸
龍神様が祀られています。
その井戸から水を引いた水盤
拝殿
「野宮」はその昔、天皇の代理で伊勢神宮にお仕えする斎王が、伊勢へ行かれる前に身を清められたところです。
嵯峨野の清らかな場所を選んで建てられた「野宮」は、黒木鳥居と小柴垣に囲まれた聖地でした。
天皇陛下の即位儀式のために建てられる「大嘗宮」も、黒木鳥居と小柴垣で囲まれます。
「野宮」の場所は、天皇の即位ごとに定められ、この場所が使用されたのは、平安時代初期、第52代・嵯峨天皇の皇女・仁子内親王(809~823年)が最初とされています。
【斎王について】
かつて日本では、天皇の代わりに伊勢神宮にお仕えする者として、未婚の内親王または女王から選定された斎王が、都から伊勢に派遣されました。
古くは、天照大神の御杖代(みつえしろ)としてお仕えした、豊鍬入姫命や倭姫命など伝承的な斎王もいらっしゃいますが、
制度上最初の斎王は、天武天皇の娘・大来皇女(673~686年)で、この慣習は、後醍醐天皇の娘・祥子内親王(1333~1334年)まで約660年間続き、64名の斎王が名を残していますが、南北朝の戦乱で廃絶しました。
多くは10歳から13歳ぐらいの少女が選ばれていましたが、わずか2歳で選ばれたり、最年長では28歳で選ばれたりすることもあったようです。
白峰弁財天の左手に、
野宮大黒天と神石・お亀石🐢
お亀石をなでながら祈ると、 1年以内に願いごとが成就すると言われているそう。
現在の天皇陛下が皇太子の時、そして、秋篠宮ご夫妻も参拝されているようです
愛宕大神の右手に鳥居があり、参道が続いています。
瑞垣に囲まれたご本殿
【伊勢までの長い道のり】
『延喜式』によれば、新天皇が即位し先代斎王が退下すると、未婚の内親王または女王の中から候補者を選び出し、「卜定(亀卜)」により新たな斎王が選ばれました。
新斎王が決定すると、邸に勅使が訪れて斎王卜定を告げ、伊勢神宮にも奉幣使が遣わされます。
任命された斎王は、まずは1年間宮中の「初斎院」に入って身を清めます。
「初斎院」とは宮城内の便所(便宜の場所)で、これも卜定で定められます。
大内裏の殿舎(雅楽寮・宮内省・主殿寮・左右近衛府など)が斎王の潔斎所となりますす。
「初斎院」での潔斎の後、翌年8月上旬に入るのが「野宮(ののみや)」です。
「野宮」は、都の郊外の清浄な地(平安時代以降は主に嵯峨野)を卜定し、斎王のために一時的に造営される殿舎で、斎王一代で取り壊される仮宮でした。
斎王は「野宮」に移り、さらに翌年9月までの1年間潔斎の日々を送り、伊勢下向に備えました。
その翌年(3年め)の9月に、伊勢神宮の神嘗祭に合わせて都を旅立ちますが、
出発日の朝、斎王は「野宮」を出て葛野川(現在の桂川)で禊を行い、宮中・大極殿での発遣の儀式に臨みます。
大極殿で天皇は、斎王の額髪に小さな櫛を挿し、「都の方におもむきたもうな」と告げます。
この儀礼は、発遣儀式のクライマックスとも言うべきもので、「別れのお櫛」と呼ばれています。
発遣の儀式を終えると、斎王は葱華輦(そうかれん)という輿に乗り、伊勢へと旅立ちます。
都から伊勢の斎宮へと向う「斎王群行」と呼ばれる旅は、斎王以下監送使、斎王に仕える官人・官女に加え、京極まで見送る勅使など500人以上にも及びました。
一行は、近江国の勢多・甲賀・垂水・鈴鹿・一志に設けられた仮設の宮・頓宮に宿泊し、途中6ヶ所の川での禊などを経て、伊勢に到着するまでには、 5泊6日もかかったとのことです。
天皇一代に斎王一人が原則。
斎王がその任を解かれるのは、天皇の譲位・崩御・斎王の病・肉親の不幸などの場合に限られていました。
参道左手に、白福稲荷大明神🦊
参道のいちばん奥に、大山弁財天。
その奥にも名称不明のお社がありました。
なぜかビニール傘が差し掛けられています。
こちらは稲荷神社ですね🦊
前述したように、「野宮神社」を象徴する「黒木の鳥居」と「小柴垣」。
その様子が、『源氏物語』・「賢木」の巻に描写されています。
六条御息所の娘(後の秋好中宮)が斎王となったため、六条御息所がそれに同行することになり、1年間野宮で潔斎生活を送り、いよいよ伊勢に下向する直前に、光源氏が六条御息所を訪ねる場面です。
この野宮が光源氏との別れの舞台となりました。
「ものはかなげなる小柴垣を大垣にて、板屋ども、あたりあたりいとかりそめなり。
黒木の鳥居ども、さすがに神々しう見わたされて…」
※『源氏物語図・賢木(巻10)』文化遺産オンラインより
左端に「黒木の鳥居」と「小柴垣」が描かれています。
参道の右手に広がる庭園。
野宮じゅうたん苔です。
「野宮神社」は、観光スポットとして有名な「竹林の小径」の中にあります。
「野宮神社」は、斎王が伊勢神宮にお仕えする前に、1年間潔斎の日々を送った神聖な場所
選ばれた土地だけあって、元々の周りの環境も良く、本来ならとても澄んだ清らかな気が感じられるはずなのです。
ですが、「竹林の小径」など超観光地化してしまっているため、
本来の清らかな気が薄れてしまっていると感じました。
残念です
お読みいただき、ありがとうございました