2021年5月10日参拝。
my神社・敷島神社の例大祭に
『浦安の舞』を見に行って来ました
「敷島神社」の祭事の見学は、昨年の『節分祭』に続き、2度めです。
例大祭の開始は10時から。
境内に到着したのは、30分前だったのに、もう舞が始まっていて焦りました
と思ったら…
直前のリハーサルだったようです💨
舞姫たちが拝殿へと向かいました。
参道の右側・御神木との間に、舞台が作られていました。
この空間って案外広かったんだなぁ
昭和15年11月10日午前10時、全国の神社で一斉に、皇紀2600年の奉祝式典が執り行われました。
その式典の中で奉納する神楽舞を新たに作成することが立案され、作られたのが『浦安の舞』。
世界の平和を祈る舞が、一斉に奉奏されました。
八脚案の上に、五色の鈴緒の付いた神楽鈴が置かれています。
こちらは、長い六色紐と松梅橘の造花が付いた檜扇。
古語で、
「浦」=「こころ」
「安」=「安らぎ」
「浦安」=「心安かれ」という意味。
『日本書紀』に
「昔伊弉諾尊目此国曰。日本者浦安国。」
とあるように、古くは、風土が美しく穏やかな日本の国を「浦安の国」と言いました
『浦安の舞』の歌詞は、昭和8年の歌会始め(勅題「海」)に、昭和天皇がお詠みになられた御製の和歌です。
歌詞の決定を受け、当時宮内庁楽部の楽長だった多忠朝(おおのただとも)氏により、作曲振付が創作されました。
天地の 神にぞ祈る
朝なぎの
海のごとくに
波たたぬ世を
朝なぎ(=無風状態の海)のように、波のない穏やかな「平和」を天神と地神に祈る、という思いが込められています
『浦安の舞』は祭祀舞の中でも代表的な歌舞で、『豊栄舞』と並んで今日まで全国の神社祭祀で奉納されています。
①装束について
正式には「白衣」「緋袴」の上に、
「単」(ひとえ)→ピンクの。
「衵」(あこめ)→グリーンの。
「小忌衣」(おみごろも)→白くて柄のあるもの。を重ね、
「裳」(も)→長くて裾が青いもの。
を腰から下、背中側だけに引きずるように垂らします。
『浦安の舞』の装束の上半身の淡いグリーンは、白い小忌衣の下のグリーンの衵が透けているだけだったのですね
柄は、青摺模様は松鶴をあしらったものが多いですが、略装束として、菊の青摺模様をあしらった「浦安柄」と呼ばれるものもあります。
比較的規模の大きな神社の祭礼以外では、略装として「千早」と「緋袴」を用いるケースが多いとのこと。
年少者が舞う場合は、ほとんどが略装束となるそうです。
「敷島神社」は大きな神社ではないし、舞姫も少女のため、残念ながら略装でした
ちなみに、「香取神宮」は下総国一之宮なので、もちろん正式な装束です
額には、花簪(はなかんざし)もしくは
前天冠(まえてんかん)をつけます。
これは花簪。
こちらも簡略化。
熨斗紙と水引は付けられていません。
髪が短い場合は髢(かもじ)というものを付けます。
今でいうエクステですね。
『浦安の舞』は、舞姫によって、一人舞・二人舞・四人舞で舞われ、正式には四人舞です。
前半=扇舞
後半=鈴舞
で構成されます。
②檜扇について
デザインは、表には鳳凰に松、色とりどりの花が描かれ、
裏には蝶が描かれています。
いずれも吉祥文様です。
扇の端には、松梅橘の造花と長い六色紐が付いています。
【鈴舞】
③鈴について
正式には「鉾先鈴」を使用しますが、
「神楽鈴」で代用しても良いことになっています。
「鉾先鈴」
柄に20cm程の鉾(ほこ)と鍔(つば)が付けられ、鍔の部分に6個または8個の鈴が付いています。
「三種の神器」を模したもので、
鉾=天叢雲剣、鍔=八咫鏡、鈴=八尺瓊勾玉とされます。
「香取神宮」ではもちろん正式な「鉾先鈴」を使用していましたね
「神楽鈴」
3つの輪に、上から3個、5個、7個、合計15個の鈴が付いています。
稲穂の実りを表していて、五穀豊穣の祈願の意味があるそうです。
どちらの鈴にも、柄の端には5尺~6尺の五色絹の鈴緒が付けられます。
舞で鈴を使用する理由は2つあります。
●魔除の力
古来から、鈴が奏でる清らかな音色には、魔物を追い払って身を守る効果があるとされます。
●神様をお呼びするため
鈴を鳴らすことは、神様を呼び寄せる合図であると言われています。
これは、拝殿に下がっている鈴を鳴らしてから神様に祈るのと同様ですね