【埼玉県・さいたま市】武蔵一宮氷川神社 2020 ~御祭神スサノオについて | 鳥居の向こう側

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埼玉県・東京都・千葉県・神奈川県の神社を中心に巡り、ブログを書いています♪

4月になってニックネームを変更したものの、間が空いてしまいましたアセアセ
ダイジェストではない通常の記事は、実に7ヶ月以上ぶりになりますおねがい


2019年12月18日(水)、地元埼玉県の一宮へ、少し早いですが年末のお礼参りに行きました。
前々回・前回記事からの流れで、

武蔵一宮氷川神社です神社


創建は、今から約2,000年以上前の第5代・孝昭天皇3年。


約2kmの参道途中にある二の鳥居神社



2019年6月の写真カメラ
参道は緑が深い季節がいいですね照れ



明治元年、明治天皇は都を東京に遷され、氷川神社を「武蔵国の鎮守」および「勅祭社」と定められます。
勅祭社は現在、全国に16社。
氷川神社には、毎年8月1日の例祭に勅使が遣わされます。

宮中の年始の祭祀である「四方拝」でも遥拝される一社なのです乙女のトキメキ乙女のトキメキ


参道沿いの紅葉がキレイでした紅葉



氷川神社は、遷都後最初の行幸地に選ばれました。

明治元年10月16日に明治天皇の行幸が伝えられ、21日に社殿改築の指示が出ます。
これを受け、たった一週間で社殿の改築、街道の整備などが行われたと言うから驚きですびっくり
10月27日に一行は皇居を出発し、600人を超える大行列が翌28日朝、氷川神社に到着しました。

この行幸の模様は、画家山田衛居(もりい)によって絵巻物になっています。

「氷川神社行幸絵巻」氷川神社蔵


「桓武天皇が平安遷都の際に賀茂社に行幸したことにならい、氷川神社を武蔵国の鎮守として行幸した」と伝えられています。

「武蔵國一宮」であり、「官幣大社」でもあり、延喜式神名帳の「名神大社」でもあります乙女のトキメキ乙女のトキメキ乙女のトキメキ


三の鳥居神社
ここから境内へ入ります。



神池に架かる神橋



6月の写真カメラ
やはりここも、真冬よりは初夏のほうが緑の色が美しい照れ



楼門の手前、手水で身を浄めますアセアセアセアセ



楼門乙女のトキメキ
「武蔵一宮氷川神社」の顔です。



楼門越しの舞殿。
拝殿の正面に舞殿や神楽殿があり、直接拝殿が見えない配置は、格式の高さを感じます照れ



楼門をくぐって振り返ります。



舞殿(ぶでん)乙女のトキメキ


毎年4月5日~7日の3日間、「鎮花祭(花鎮め祭)」が行われ、童女による舞が、ここ舞殿にて奉納されます桜


※画像は神社公式HPより

小学生の「花しづめさん」4人と、未就学の「つぼみちゃん」2人が桜の枝と鈴を持ち、「花しづめ舞」「乙女舞(豊栄舞)」「浦安の舞」の3種類を舞います。

黄色い装束のつぼみちゃん、可愛い~ラブ


「春に花が散る時期に、疫病神が疫病を流行らせる」と考えられていたため、疫病除けの目的で、国家の祭祀として、「大神神社」や「狭井神社」で古くから行われている祭です。


拝殿キラキラキラキラ

【御祭神】
須佐之男命
稲田姫命 (妃神)
大己貴命  (御子神または六世の孫)



武蔵国の一宮が、なぜ出雲の神を祀っているのでしょう?

第13代・成務天皇の御代に、出雲の氏族であった兄多毛比命(えたもひのみこと)が朝廷の命により武蔵国造となり、氷川神社を奉崇したことによります。

「出雲大社」の主祭神は現在は大国主神ですが、元々はスサノオでした。
スサノオは出雲族の祖神なのです。
兄多毛比命の子孫が移住し、出雲の神々を東方に広めていったと思われます。


ご本殿へ向けて風が吹き抜ける、開放的な拝殿ですお願い



ご本殿キラキラキラキラ



6月の、雨に濡れた拝殿&ご本殿傘




神話の中のスサノオの変遷】とともに、いくつかの境内社をご紹介します。



①イザナギの禊祓で三貴子誕生。
左目を洗うとアマテラス、右目を洗うとツクヨミ、鼻を洗うとスサノオが誕生。

「武蔵一宮氷川神社」は、さいたま市大宮区高鼻町にあります。
高鼻町=湖沼地帯で鼻のように高かった台地という意味です。
鼻から生まれたスサノオを御祭神とする神社が、偶然にも高鼻という地にあるのです👃


六社
御祭神 天照大御神 (姉神)


住吉三神・大山祇命・迦具土命・大雷命・布都御魂命とともに祀られています。


姉・アマテラスとの誓約(うけい)。
スサノオの十握剣から宗像三女神が生まれます。


摂社・宗像神社
御祭神 宗像三女神 (御子神)


神池にある中島に鎮座しています。



③スサノオが様々な乱暴(天つ罪)を働き、アマテラスは天岩戸にこもってしまう。


④天岩戸開きの後、世界に光太陽が戻り、スサノオは千位置戸(払い)を差し出し、髪の毛を剃り、手足の爪を剥がれて(身削ぎ)、高天原を追放される。

払い=祓
身削ぎ=禊

スサノオは、この禊祓により、悪神から善神へと変貌を遂げますキラキラキラキラキラキラ

失恋した時や、気分を一新したい時に髪の毛をばっさり切りたくなる心理もハサミ、この【身削ぎ】と同じことなのかも知れませんキョロキョロ


⑤出雲国に降り、ヤマタノオロチを退治ヘビ

クシナダヒメを櫛に変身させて髪に挿す。(合体してパワーアップ⤴️) 

アシナヅチテナヅチに「強い酒を造り、垣根をめぐらせて八つの門を作り、酒を満たして待つように。」と命じる。

強いお酒を大量に飲み、酔って眠ってしまったヤマタノオロチを十握剣で斬り刻む。
尾から、後に「三種の神器」の1つになる草薙の剣を入手。


ヤマタノオロチの姿は、出雲の「簸川(ひかわ)」の氾濫の様子を表しており、オロチを退治して出雲に定着したスサノオが活躍した簸川=「氷川」を神社名にしたとの説があります。

妃神の稲田姫は、「櫛名田姫」(クシナダヒメ)とも表記します。
農業のための雨乞いをする巫女の象徴神とも言われています。

ヤマタノオロチの神話からは、スサノオとクシナダヒメのいずれも、
稲作を司る神=『農業の神』としての性格がうかがえます。


摂社・門客人神社
御祭神
足摩乳命(あしなづちのみこと)
手摩乳命(てなづちのみこと)
(稲田姫命の御親神)


社殿の東側、回廊で囲まれた神域の外に鎮座しています。



「門客人神社」は、元は
「荒脛巾(あらはばき)神社」と呼ばれていて、「アラハバキ神」を地主神として祀っていました。

「アラハバキ神」とは古代東日本の民俗の神。
脛巾(はばき)とは、旅行などの時に脛(すね)に巻きつける布のこと。
壁と床の継ぎ目の部材「巾木」もここから来ていますウインク

「荒脛巾神社」は、この脛巾を身につけることで、旅の安全と足の健康を祈る道祖神的信仰の神様足
だんだんに解釈が広がり、足に限らず腰から下の病にも効験があるとされました。

それが、後から来た神に取って代わられ、客人扱い、もしくは門神の役割になってしまったものと思われます。


一の鳥居から二の鳥居を経て、南から北へまっすぐにのびた約2kmの参道は、三の鳥居を過ぎ境内へ入ると緩やかに左へカーブし、現在の氷川神社社殿に向かいます。

境内案内図では方角がわかりにくいので、Google mapを見てみます。

現在の氷川神社社殿は、真南ではなく南南東を向いています。
三の鳥居の先も向きを変えず、そのまままっすぐ北へ向かうと、正面に「門客人神社」=アラハバキ神社があるのですびっくり


こう見ると、元は「アラハバキ神社」だったことは間違いないように思えます。
現在は回廊の外へ出されてしまいましたが、元々の地主神を尊重し、位置だけはそのままにしているのかも、と思いますキョロキョロ



ヤマタノオロチ退治の伝説で、スサノオは英雄のようになっていますが…
クシナダヒメとアシナヅチ・テナヅチの協力は大きいと思います。
特に、アシナヅチとテナヅチの労力が半端ない滝汗

スサノオは、最後の最後にヤマタノオロチを十握剣で斬っただけにやり
スゴいのは、スサノオじゃなくて十握剣ですよねナイフ

十握剣は「石上神宮」に、
草薙の剣は「熱田神宮」に祀られています乙女のトキメキ乙女のトキメキ


お酒日本酒も重要な役割を果たしたので、こじつけですが…

松尾神社
御祭神 大山咋命
酒造の神さまです。



⑥助けたクシナダヒメと結婚し、出雲の須賀の地に宮殿を建て、日本で初めての歌を詠む。

曇り「八雲たつ 出雲八重垣 妻籠みに   八重垣作る その八重垣を」曇り

八雲は、「武蔵一宮氷川神社」の神紋にもなっています。
※下記御朱印参照



以上、御祭神スサノオの変遷を見て来ました。
乱暴でお調子者だけど、憎めない。
こういう人っていますよね照れ
人間臭くて魅力的な神様です乙女のトキメキ乙女のトキメキ乙女のトキメキ



蛇の池ヘビ
蛇は「水神」の化身とされていました。


現在も地中深くから水が湧き出ていますタラータラータラー



神池アセアセ


かつて神社の東側には広大な「見沼(神沼、御沼)」があり、現在の境内にある神池はその名残りです。
太古には見沼をご神体とする「氷川神」と呼ばれる水神を祀っていたとも言われています龍


鎮座地「高鼻」は、見沼の低地に突き出た台地で、古代からの湧水地アセアセ
湧き出る泉も原始の氷川祭祀の対象でした。
古語では、氷川=霊験あらたかな泉を表していて、「氷川」が社名となったという説もあります。




最初に先住民の神「アラハバキ神」→
「氷川神」という順番なのか、
それとも「アラハバキ神」と「氷川神」はそれぞれ別個に存在していたのか、
それはわかりませんが…
この地に移り住んだ出雲氏族は、「氷川神」信仰に、氏神である出雲の神々の祭祀を重ね、さらに「アラハバキ神」も地主神として尊重し祀ったということなのでしょうか。

開拓していく中で、農業用水として荒川を利用する一方、荒川の氾濫にも悩まされていたのでしょう波
荒川に故郷の簸川を重ね、氷川神社に治水を祈ったことが、氷川信仰が荒川流域に広まっていった理由と思われます。



【御朱印】
平成30年に拝受したもの。
同じ書き手ですね。



令和元年に拝受したもの。
こちらも2回とも同じ書き手だびっくり



今年も6月28日(日)に、神社検定1級受験のために、会場である「武蔵一宮氷川神社」へ行く予定です。
6月末までにはなんとかなるのかなぁ…。
もしも中止なら、とりあえずいったん勉強中断するから早く教えて欲しいけど、出来れば今の勢いで、今年合格してしまいたいおーっ!



本記事では全ての境内社を紹介していませんので、基本情報は2018年の記事をご覧いただければと思いますウインク





記事中にもご紹介した、「鎮花祭」桜
今週月曜日か火曜日に行く予定でした。
【疫病除け】は今のシチュエーションにぴったりだし。

でも…「鎮花祭」ならば感染しないという保証はないし、不要不急の外出は控えるよう要請され、4月6日時点で緊急事態宣言が間もなく発令されるという状況…
しかも、さいたま市は県内でいちばん感染者が多いところ。

悩みましたが……、やめましたぼけー
祭りの目的から、きっと神社側もだいぶ悩まれたことと思います。


緊急事態宣言期間中の5月6日まで、私たち1人1人の行動が、これ以上の感染拡大を防ぐことに直結しています。
皆さまもツラいと思いますが、こんな時だからこそ出来ることを見つけて頑張りましょう!!爆笑

幸い私は、昨年9月以降に参拝して、また記事にしていない神社がいっっっぱいありますイヒ
私はこういうストレスにめっぽう弱く、なかなか体調が安定しませんが、少しずつ記事にして行きますね鉛筆


長々とお読みいただき、ありがとうございました照れルンルン