古今亭志ん輔 日々是凡日 -1247ページ目

古今亭志ん馬

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楽屋に入ってくるなり手帳を広げた男はこう言った「忙しいなあ・・」楽屋で一番嫌われるのが自慢話だった。忙しいなどということは、間違っても言わないのが、楽屋の常だった。ところが、この男の言葉に、嫌味を感じる者は居なかった「そんなに忙しいかい」「ああどうも師匠・・ええもう、忙しくって忙しくって、人の身体を借りたいくらいですよ」こう言って男は、5ヶ所の地名を挙げた「それ、みんな掛け持ち?」「そう」「そりゃ忙しいや」「でしょう、分かってくれます」「分かる、分かる、1日で回るの」「まさか、1週間ですよ」「だろうなあ、いや、それにしても疲れるよなあ」「もう、大変。パンツ上げる閑がありませんからネエ」「だろうなあ」1週間に5人の女性を訪ね歩く男が、女性から嫌われることはなかった。その日は、朝から腹具合が悪かった。夕方、女性の家に程近い駅の踏み切りは、閉まっていた。それが男の運の尽きだった。遮断機が上がった時には、歩を進めるのも容易ではなかった。やっと、それでも無事に家に着いた男は、油断した・・・結婚までは、あっと言う間だった。

柳家

小さん師匠が好きだった。小さん師匠の噺が好きだった。身近にいるだけでワクワクして来る、そんな噺家が沢山いた。中でも、器の大きな師匠だった。後輩の大先輩に対する無礼も、自分に対してなら寛容に受け止めていた。二ツ目が、小さん師匠をからかっていた。高座で笑いを取っていた。それは、決して小さん師匠が好きで好きで堪らなくって言ってしまう、それではなかった。ただ、受ければ何でも言ってやる、そんな高座だった。小さん師匠は黙っていた。気付いたら、小さん師匠は居なくなっていた。気付いたら、小さん師匠の噺は、誰も受け継ぐことなく今なくなろうとしている。一門は殆ど、圓生師匠の噺や、志ん生師匠の噺に走っていた。お客様にウケれば、自分の師匠の噺さえも捨ててしまっていた。もう、小さん師匠の噺を、柳家一門の噺家に聴く事は、滅多になくなっている。

打ち上げ

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「おっ疲れ様でしたぁー!」落語会の後には付き物の打ち上げ。この瞬間を味わいたくて、噺家は勉強会をする・・・と言っても言い過ぎではない。大人数でも少人数でも、居酒屋でも焼肉屋でも、その喜びは同じだった。落語の出来が良ければ言うことはなかった。ただ、上手くいかなかった時の酒は、苦かった。それでも、飲み食べ話す「あんまり気にするなよ」こんな仲間の慰めが、悔しいけれど嬉しかった。嬉しいけれど情けなかった。『今度こそ、きちっと仕上げてみせる』心にそう呟きながら、グラスを傾ける。地下の店から出れば、もう太陽が昇っていた。ゆらゆら揺れながら歩いて行く。会社に通う人達に迷惑がられながら、それでも何がしかの達成感に、浸っていた。

柳家喜多八

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「冗談言っちゃいけませんよ、私だって夢ぐらいありますよ」誰もなんとも言ってなかった。周囲の言うことなど、この男の耳には入らぬらしい。アドバイスだろうが、褒め言葉だろうが、屈折して取る。素直という言葉は知らないらしい。本当は、そんなんじゃあないんだろうに・・・と誰もが思うし、当人が一番知っている・・・気がする。「バカなことを言っちゃいけませんよ。私だってね、落語界を背負って立つくらいの気構えはあるんですよ。ウソだと思ったら、一万円貸して下さいよ」まるで面白くない、毒舌とも愚痴ともつかない言葉を吐く。そして、一人で考え込む。それは、大分飲んだ後だった。喜多八さんと静かに飲めたのは、それが最初で、それ以来ない「私の夢はね、HOゲージ・・・四畳半かな、出来れば六畳とかね・・・大きな部屋に山を作って、川を作って、鉄橋を渡してね、列車を走らせるの・・・へへへ・・・いいなあ」そう言ってうつむいていた。

ありそうで、ない話し (五-2)大空遊平

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「なはは、一緒に帰ろうよ」男から発せられた言葉は、これだけだった。