絶対認められないインド車事情、ここは車好きの地獄 | patrickのブログ

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走り屋(暴走族では無い、根っから車好きの走り屋と呼んで欲しい)上がりの車キチガイだった商社マンが、とにかく、もう車に乗りたくなくなった。こんな自分に変わった事は自分で認めたくないし信じられない。

でも事実なんだ。


今回のブログ記事は、車なんてまったく興味無い人はここで止めたほうが良いかも。

でも、どんな形でも車がちょっと好き以上だったら是非とも読んで欲しい。読まないと損する。


判ってもらうために、まず自分の車に関するプロフィールだけど、高校生時代は米国でそこは16歳から車を運転できた、もう車は自由の羽根の翼で、それさえあれば24時間楽しかったしどこにでも行けた。

大学生時代は学業とスポーツが終わり次第、とにかく車をいじっていた。ありとあらゆる事をした。

ホイルとタイヤは当たり前で何種類か揃える、ショックやバネも当たり前で試行錯誤、排気系統も、ボデイの補強も、ブレーキの補強、エンジンの吸気効率アップ、ターボ交換、オイルクーラー取り付け、軽量ボンネット、バケットシートに4点シートベルト、ステアリング交換、もう切が無い、ネジの一つまで気を配った。


その当時の車は今と違ってとにかくアンバランスで不完全もいいとこで、車マニアな私が仲間達とショップで時間を使ってはあれこれ深夜まで作業して、その作業そのものを苦労と思わずに楽しんだ。


そこまでは有りうる話。ここからを聞いて欲しい。


都内だと明け方3時過ぎから首都高を走りタイムアタック、帰りの目黒線などは自分に勝てる車は無いのではと得意コースだった。道路の継ぎ目からちょっとした傾斜まで全部覚えて車を滑らせるように走らせた。

社会人になったばかりの頃は(ずいぶん昔なんだけど)軽井沢ブーム、テニスブームだったかな、良く行ったけど、私はテニス(好きで思いっきり強くなろうとしたテニス)はそっちのけで、やはり早朝3時過ぎに宿を抜け出し、碓氷バイパス、特に碓氷旧道を攻めた。


八ヶ岳ではやはり早朝3時過ぎからスタート地点の大平の交差点から まきば牧場までの峠道を攻めた。どちらも日中普通に走ると30分弱だろうけど、早朝のその時間は7分前後(かかっても8分)で走り抜ける。それでも緊張感からとてつもなく長い時間に感じるんだけど。


なぜ3時か???理由が有る。それは対向車が少ないから2車線をフルに使ってコーナーする為だけど、真っ暗だから対向車が来るとその対向車のヘッドライトでかなり前から向かって来ていると危険を知ることができる。


峠は余程の上級者でなければダウンヒルを攻めることは仲間内で認められていない。基本は登りのみ。

何故かと言うと、車の操作さえしっかりと体得しておれば、かなりの極限でも車をコントロールできるし、

回転数を5,000、6,000以上まで引き上げてコーナーしいているから、万一の場合に急ブレーキしても

驚くように短い距離で止まれる。


その当時、首都高の走りや達は、同じ時間に、同じ目的で、車の性能と自分の技術を確認しに来た相手を認知する。又アイツだ、又あの車だ、今日は違った走りをしている、今日は先週より早い、とお互いを

不思議な仲間意識で見るようになる。そこにはVWゴルフGTIとかBMW323といった外車はいるけど、当時大半は国産車FRだった。トヨタレビン&トレノ、三菱ギャランGTO、いすゞ1600GT、もちろんおなじみのスカGからフェアレデイ、RX7も居た。今のような国産FFや4Wは無かった。

絶対に危険な競い合いはせずに、お互いを譲り合いながらもその性能を競った。素敵な時間だった。

夜が明けるだすと、一台一台と去っていく、カッコ良すぎなんだけど、帰り際に出会ったら、お互いを見て、目がチラッと逢うと、ニヤッと笑って

じゃ又な って。


峠のルールはスタート地点。3時と早ければ数台、4時過ぎで遅くなると10台くらいは並んで待っている。

碓氷峠はストレートの登りで車が右カーブしてテールランプが消えたら、次が出発。

八ヶ岳(小渕沢インターを降りてそのまま右に曲がり八ヶ岳鉢巻道路に向かって走ると大平って信号が有るけど、そこが走り屋のたまり場だった)は大平の信号機が青になった瞬間に一台発進。次の車はその次の青を待つ。猛烈にダッシュして前の車まで追いつこうとする。完全に追いつかれた前の車は、すぐに後続車が自分より早いことを知るとハザードランプを付けてその車を先行させるのがルールだ。走り終えたら まきば牧場の駐車場に車がゆっくりと入ってくる、車が息を切らしている、エンジン音が乱れている、車体は焼けるようだ、タイヤのこげた臭いからそのタイヤが何なのか、マフラーから排気されるガスを匂ってエンジンオイルはペンゾールつかってるなこいつとか、早い奴をチェックして、有る時はマークして(そいつの前後で走ろうと)峠を降りる。


峠を降りるときは必ずヘッドライトを付けて、深いコーナーではハイビームにして自分の存在を下から駆け上がってくるものに伝えて、下までゆっくり降りてゆく。車もドライバーも次のヒルクライムに備えて体調を整えるように。そして大平の交差点から数百メーター下ったところにあるレストランの駐車場でユーターンしてまた大平の信号機で自分の順番を待つ。


3本か4本やると、もう車もタイヤも自分も持たない。そうこうすると夜明けとなる。まきば牧場からの朝日は素晴らしく(富士山もすぐ近くに有るように恐ろしく綺麗に見える)、その朝日が昇る頃に一台一台と去っていく。私もだけど、そこに集まる男ってあまり話さないけど、去っていく時はお互いを見てる。

又逢いたいって。


おそらK何事も無かったように、そーーと帰り、何事もなかったようにベットに入り、普通に おはようって朝ごはんを食べるために。バレなきゃいいけど、無理だろうな、きっと。


そんな私が車を嫌いになった。もう、嫌で、なるだけ車に乗りたく無いが、ここでの生活は車なくしては出来ないのと、超しがない商社マンの仕事柄相当な距離を走り回る。


実はこのブログはホスールのホテルから発進する。チェンナイ市内から車で6時間くらいか、客先訪問含め今日は9時間近くは車に乗って先ほどチェックインした。明日はここからバンガロール(片道約2時間)に行く。そこで客先を5~6社周り、その後、なんと、明日の夜には、バンガロールからチェンナイのアパートまで8時間掛けて走り抜ける。それも深夜の照明が無い危険待ち受ける恐ろしいインドの道路事情の中を。


流石に上海駐在時代でもここまではしなかった。上海はインフラが整っており(びっくりするくらいの

高速道路網)、好きでは無いが大きな車がどっしりと走り回っている。

上海の車事情で 唯一皆に言えるとすれば(これは絶対知っておくべきなのだが)、中国語が最低限の

会話できないと、手も足も出ない。

タクシーだって運転手で英語が通じる相手はまず居ない。何話しても、必死になっても、中国語の返事が何度も返ってくる。場所の地図か、行き先をしっかりと書いてもらうのが一番で、それを見せるしか無い。

なまじっか英語ができる程度で舐めて掛かったら、上海空港に降り立ってからタクシー乗り場で洗礼を受け、市内のレストランで注文すら出来ず、買い物もできずに、ここは何処、私は誰状態になる。

企業の仕事がらみで空港に出迎えが来ているような旅行だと、そんな話は必要無いかもしれないが、

一人旅しようなんて、まずは中国語を最低限話せるまで学んで来いと私は言わねばならない。

思うんだけど、そんな中国語Mustの中国生活だから(一番開けた上海ですら)、語学を学ぼうとの姿勢が無く、海外の文化との社交性が無い奥様にはさぞや中国駐在はストレスで、結果的に日本の奥様達ばかりが常に集まって、食事会や習い事とあれこれ情報交換重ねて時を過ごし、そこには良い思いでが

少ないだろうなって(中国の場合はそうなる)と思う。



その私だが、語学堪能と言っても中国語はゼロだった。だから最初の3ヶ月は仕事の合間、早朝から深夜までもう勉強しまくって、3ヶ月くらいで一応の生活出来るようになったが、その私を会社の中国人たちは脅威のスピードだと言ってくれた。でも、それって職業病なんだけど。

でもね最初は生活できない事にビックリしたし、私の英語で中国人の生活に入りきれないことに驚くと同時に、本当に3ヶ月は苦労したな。

私の中国語の成長はそこで急ブレーキで、その後は仕事や、他に頑張るべき事が沢山出てきたから、

おろそかになったけど、機会許されるなら、もうすこし上手くなりたいと今でも思っている。


繰り返すけど、インドで車が嫌いになった。御免なさい、インドの話するハズだった。

長くなるから理由を箇条書きにします。思いつくままに記載するので重要度の順番では無いことあらかじめ。


(1) インドの交通事故死に対する保険適用最高額は 25万ルピーが上限。

   あなたの命、ここでボロボロに死んでも、たとえば私が明日の深夜バンガロールからの帰りに

   車を横転させて死んでも。死亡事故25万ルピー(ざっと40万とか45万円)。

   これって、インドで頑張る企業戦士たちは知っているのかな?知らない人が多すぎないかな?


(2) インド人運転手の運転がとにかく下手、土下手で、危険極まりない。

   車の性能を正しく引き出す方法を身に着けていないから、もうイライラする。自分で運転したいけど

   会社規則で止められている。


   コーナーはシフトダウンしてエンジンの回転数を意識的に一定以上に引き上げて、前への推進力

   を持たせることで車は横に流されずになるだけ水平を保ってターンできる。インド人はそれを知らない

   から、コーナーでふくらみまくり、それこそ横転しそうな勢いになる。         


   減速も適切なシフトダウンし、ブレーキと併用して、車をなるだけ水平に保つ必要が有るのに、

   インド人の多くはニュートラスにしてブレーキを必死に踏んで前のめりに止めようとする。


   追い越しこそは、適切な車間を保ち、必要なだけの2速ほどシフトダウンして回転数を引き上げ

   スパッと綺麗な加速力を持って抜き去り、水平に巡航速度に戻すべきなのに、前の車に思いっきり

   ちかずいたところから、ノロノロとまともな加速できずに抜こうとする。当然対向車がどんどん

   向かってくるから、ギリギリ交すまで抜けないか、ブレーキ踏んで後戻りしている。


   運転の真髄は、’’絶えず如何に車を水平に、ニュートラルな姿勢に保てるか’’なんだ。

   これって、今まで誰にも話してないけど、首都高の皆や峠の皆は、それぞ目指している。


(3) 交通ルールほどんど無し。

   おそらくニューデリーやムンバイの市内は相当変わったと思うが、チェンナイ市内ですら、

   ましてや郊外は全くの 無法地帯。


   赤信号なんのその、逆に赤信号で止まったら追突されるかも知れないほど。ところ構わず

   いきなり右左折したりUターン。意識的な幅寄せは当たり前に、絶対に相手をどかせると

   ぶつける勢いで割り込んでくる。


   車一台の車線に2台3台がひしめきあう。その間に3輪車(オートリキシャ。タイだとツクツク。)や

   オートバイが所狭しと入って、なんだろうこれってバーゲン会場?福袋売り場?渋谷ハチ公前?

   それ以上だと思う。


   窓から外を見れば、すぐ近くにインド人の顔が有って、30cm40cmくらいの距離に有って、こっちをじろじろ見ている。目を見つめてくる、ニヤニヤしている。バスの隣に車がならぶと、バスの中のインド人が

   こちらの車の中 全員で私を外人だとばかりにじろじろ見ている。


   それにプラスして、郊外だと 道の真ん中から両側に牛牛牛の猛烈な数。


   最悪は道路の逆走。これってあたりまえで、乗用車だけでなく、商用車もトラックも、もちろん2輪も

   そっちが早いとなれば逆走しだす。今日も私のドライバーは(やむなく)3~4回やった。


(4) 私は通常の通勤着でも約4時間車に乗らねばならない。

   朝は6時に出て、会社に1時間半後の7時半。

   夜は会社を7時に出て、アパートにもkドルは9時過ぎ。

   ビールかウイスキー飲みながら熱いシャワー浴びて、ほぼ素っ裸でストレッチと軽く腹筋鍛えて、

   パジャマ着て、デスクに向かい仕事の残りと、今年一月からはブログの仕上げ。

   そして寝る。毎朝4時半まえに起きて、又バタバタやっている。


(5) インドに駐在する方は、男性人はもちろんだが、特に奥様や女性人からすると、’’インドで

   一番欲しいものは何’’ ってアンケート執ったら、私は答えが判る。

   それは、’’言葉が通じて、こちらの意思を理解し、言うことを聞く、安全な運転手’’のはずだ。


   インドでは女性は全員マダムと呼ばれる。英国からだろう。私がワインをまとめたブログ記事で

   マダム、マダムと言ってしまうのはそのせいなんです。


   このブログを読みながら、なんて馬鹿な男なの、もしくはちょっと興味有る男ねって、私の事を

   思った、あなたもマダム。


それじゃ、マダム(&ジェントルマン)、最後まで読んでくれた人ありがとう。

このブログ記事、途中でくじけるかと思ったけど、書き上げました。その努力だけは評価頼みます。


ソムリエナイフも上手く使うし、各種スポーツ大好きだけど、そーーと早朝にベットを抜け出して静かにエンジンを掛けて、気づかれないように深夜に車を滑り込ませる 走り屋の商社マンが

5月に東京に戻る予定。


さてさて、帰ったら、次の車は何にしようかな。。。車体も排気量も小さく、とにかく軽量でパーンと走る車 探そう。やっぱり根っこは 車好きだ。でもインドでは 車は嫌いだーーー、絶対嫌だ。

じゃ お休み




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ゴルフ場だけど、夜明けだ、さーーベットに帰ろう。