一昨日から、静岡の実家に来ています。

この時期の仕事は、冬の剪定と、相変わらずの草取りです。


昨日の午前中が雨降りだったので、

五木寛之の“下山の思想”を読みました。


副題は、

今、新しい下山に向けて

もう知らないふりはできない

未曽有の時代にどう生きていくか。究極のヒント


震災後どう生きていくかがテーマで、

日本がこれから目指すのは山頂ではなく、下山であり、

登山は下りるときこそ最新の注意を、というたとえをあてはめている。


軽いタッチの随筆調なので、一気に読めましたが、

ヒントは、最終章“ノスタルジーのすすめ”にあると思います。


戦時中や終戦後の物資が不足して貧しい時代でも、

それなりに明るく希望をもって生きていた。


モア・アンド・モアで究極の便利さ・快適さを求め続ける生き方が、

本当に幸せなのか?


生き方そのものへの問いかけがされている。

肩の力が抜けるような問いかけだと感じました。



これからの予定は、今日の午後、山梨に帰り、

夜の、さだまさしコンサートに行くつもりです。

感じることがあったら書き込みます。



米国で活躍し、核の問題や戦争、貧困などをテーマにした作品を残した

画家“ベン・シャーン”の国内巡回展のうち、6月から開催予定の

福島県立美術館は、米国の美術館から貸し出しを断られたとの事。

第五福竜丸の被曝をテーマにした作品もあるようだ。


福島第一原発事故による放射能への不安が理由だという。

米国国務省は、原発から50マイル(80km)への旅行自粛を勧告している。


同じような事が、山梨でもあった。

昨年4月から山梨県立美術館で開催予定だった、

モーリス・ドニ(フランス)展が延期になった。

同じことが理由であった。


しかし、この年明けから3月4日まで開催されているので、

一昨日見学してきました。

http://www.art-museum.pref.yamanashi.jp/exhibition/specialexhibit_201104.html


ここで少し話がそれるが、モーリス・ドニを初めて見学した感想は、

これらの作品のどこが世界的に評価されるのかが、わからなかった。

全体が平面的で、色彩も単調だ。

同行した妻も、期せずして同じ感想を漏らしている。


帰ってからネットで調べてみると、下記のことが書いてある。


「絵画が、軍馬や裸婦や何らかの逸話である以前に、

本質的にある秩序で集められた色彩で覆われた

平坦な表面であることを、思い起こすべきである」

(『新伝統主義の定義』(1890年)より)


絵画に詳しくない自分には、良く理解ができません。

どなたかコメントを戴けませんでしょうか?




“朽ちていった命”(新潮文庫)を読みました。


NHK「東海村臨界事故(1999年)」取材班が書いた、

被曝治療83日間の記録です。


今日読み始めて、一気に読み終えました。

関係者が取材に協力し合い、

詳細なドキュメンタリーとしてまとめあげています。


これを読むと、他の科学技術と比べて

原子力がいかに危険か、

制御がいかに難しいかが良く判ります。


そしてこの危険性が時とともに風化して、

同じ過ちを繰り返す事が判ります。


本文の一部を引用します。


194頁 

大内が死亡した際の記者会見で、最後に前川はこう言った。

「原子力防災の施設のなかで、人命軽視がはなはだしい。

現場の人間として、いらだちを感じている。

責任ある立場の方々の猛省を促したい」

事故など起きるはずがない―――

原子力安全神話という虚構のなかで、

医療対策はかえりみられることなく、臨界事故が起きた。

国の法律にも、防災基本計画にも、

医者の視点、すなわち「命の視点」が決定的に欠けていた。

放射線の恐ろしさは、人知の及ぶところではなかった。

今回の臨界事故で核分裂反応を起こしたウランは、

重量に換算すると、わずか1000分の1グラムだった。

原子力という、人間が制御し利用していると思っているものが、

一歩間違うととんでもないことになる。

そのとんでもないことに対して、一介の医師が何をしてもどうしようもない。

どんな最新の技術や機器をもってしても、とても太刀打ちできない。

その破滅的な影響の前では、人の命は本当にか細い。

しかし、大内は、そして篠原は、その命のかぎりをつくして、

前例のない闘いに挑んだのだった。

放射線や原子力と命の重さの関わりを見つめなおしたい、

と前川は決意した。


219頁  柳田邦男 の解説

そして気づいたこととは、こうだ。

核戦争であれ、核事故であれ、即死者はもちろん悲惨だが、

生き残った被爆者たちあるいは原発事故や核事故の

被曝者たちの多くが、大内、篠原両氏のように、

数日ないし数週間、あるいは数ヵ月、地獄の拷問に等しい経過を経て

死に至る人々が続出するということだ。

さらに、それでも生き残った被爆(曝)者たちも、十年後、三十年後に

がんなどを発症する人々が少なくないことを、歴史は示している。

その苛酷な事実を知らずに、核武装論などを言い出す言論人に、

私は寒気を覚える。