昨日、“つなぐNPO”企画の、“ちいさな旅”に参加しました。
http://www2a.biglobe.ne.jp/~yamaiku/
この“ちいさな旅”は、“つなぐNPO”が、山梨県内の各地の歴史と文化を、
2時間程度の徒歩で歩ける範囲ごとにまとめて見学して歩く企画です。
既に県内100か所以上を済ませております。
今回は、甲府市の山城と小瀬です。
定員50名だが、実際の参加者は100人近い。
小瀬スポーツ公園に集合して、9時半に出発。
まずは数分で鈴宮諏訪神社。 桜が満開。
今回は、12時半から始まる“天津司の舞”というお祭りが目当てで、
午後ここで行われるので、祭りの謂れも含め、最後にまとめて書きます。
次に数分歩いて、“雨乞い地蔵”。
このお地蔵さま、乾いた身体が好きでないので、普段川の中に安置されている。
言い伝えによると、干ばつで雨がほしいときに、
川から出して雨乞いをすると、自分を濡らすために雨を降らせてくれるとの事。
鎌倉時代以前からのようで、毎年10月5日に川から上げられ、供養される。
さらに行くと、“山城の七天神”。
この地区には、平安時代に雷神と考えられるようになった菅原道真公を祭る
石の祠(ほこら)が7か所あり七天神と呼ばれていた。
祠は田の神の信仰によるもので、弥生時代からの民俗資料とのこと。
区画整理などで変わり、完全な形で残っているのはこの一つ。
次は、“旧雨宮屋敷”(現、上今井町公民館周辺)。
昭和40年代まで医院として使われていた、
代表的な入母屋かぶと造りで、田の字型の部屋構成の屋敷。
甲府市に寄付され、現在は移築されている。
さらに歩くと、“曹洞宗大龍山冨春院”。
山門をくぐると、両脇に24体の石仏。
西国三十三所観音を模したと言われ、1800年代の観音信仰が伺われる。
その後は、浄土宗九品山淨福寺跡。
史書“吾妻鏡”によると、鎌倉幕府の武家政治に不満を持った後鳥羽上皇が、
承久の乱(1221年)を起こしたが失敗した。
その首謀者の一人とされた源有雅が、京都から鎌倉へ護送される途中、
ここ淨福寺に幽閉され、この地の幕府軍の小笠原長清に斬首された。
しかし、この源有雅は、当時の将軍であった北条政子に除名の嘆願を出し、
許しを得たのだが、それが届いたのは処刑の後だったという悲話がある。
臨済宗鳳堂山仁勝寺には、国の重要文化財の聖徳太子像が安置されている。
高さ115.2cmのヒノキ材の寄せ木造りで、
聖徳太子16歳の孝養像(きょようぞう)と伝えられ、
少年とは思えない風格があり、鎌倉時代の写実力に優れた彫刻とのこと。
ここの菩提樹の葉はきれいだ。
春先の葉は、葉脈だけが白く残り、青空に透かしてみると自然の芸術だ。
小瀬スポーツ公園に戻る途中の様変わりした五割川沿いには、
歴史を見守る石碑だけが並んでいる。
ここには、武田信玄の娘(勝頼の妹)が出家して創建したという、
玉田(伝)寺があったと伝えられている。
残すは、“天津司の舞”の出発する天津司神社だが、
出発の12時半までにはまだ1時間ほどあるので、
我々3人は、このガイドブックに紹介されている、
ニューハーフの店“まこBar”へ、ワンコインのランチカレーを食べに行った。
同時にやはりワンコインの日替わり定食も頼んだが、
両方ともボリュームたっぷりで、味もバッチリ、満足の昼食だった。
昼食後、やはりガイドブックで紹介されている“氷華”でジェラートも楽しむ。
さて今回のメインイベントの、“天津司の舞”だ。
日本最古の人形芝居ともいわれ、国の重要無形民俗文化財に指定され、
1年に1度奉納される。
天津司神社から出発した舞いは、赤い布で顔を覆い、
小瀬スポーツ公園内を経由し、1km先の鈴宮諏訪神社へおみゆきする。
鈴宮諏訪神社に到着し、神事の後、周りを垂れ幕で囲われた舞台で舞を踊る。
最後に剣の舞があり、九体の人形の数に合わせ、
9本の刀が投げられ、拾えた人は今年幸運になるとの事。

舞いの起源は、昔小瀬の里がまだ開かれない頃、
十二体の神が天から降り舞楽を奏したが、
その後二神は天に帰り、一神は西油川の古井戸に飛び入ってなくなった。
残る九神が踊り続け小瀬の里が開かれたという伝説がある。
充実した、ちいさな旅だった。
























