フィリピンで③ | 自閉症の息子と生きてみた(≧∇≦)

自閉症の息子と生きてみた(≧∇≦)

広汎性発達障害の息子と、八ヶ岳山麓で暮らしています。音楽を仕事にし、主人はずっと海外住みなので、ほぼシングルマザーです。嵐、ニノ、にのあいをこよなく愛しています♡2024年4月〜子宮体癌闘病中。


次に、トンド地区という、スラム街に行きました。
彼らは“スモーキーマウンテン”というゴミの山の上に、小屋を建てて住んでいましたショック!
あまりの悪臭に、また具合の悪くなった人が続出したので、行ける人だけが見学に行きました。
もちろん私は行きましたにひひ
…言葉には著せない異様な景色とは裏腹に、そこに住んでいる人々は、とても明るい人達でした音符
彼らはバスケットボールバスケを楽しんでいました。
学校に行けない子供が、石の上に座って勉強をしていました。
…スラム街に住んでいる人は「市街地に一度住んでみたけれど、居心地が悪いからスラムに戻ってきたにひひ」と言っていました。「住めば都」の諺どおり、貧しい生活を楽しんでいるように、見受けられました音符
彼らの姿を見て私は「日本が援助するにしても、ただ生活面を裕福にするだけでは、この人達のためにならないんだ」と思いましたクローバー
もし、スラム街の人達に日本に住んでもらったならば…彼らから笑顔が消えるのではないか。本当の幸せドキドキとは何か、と心が揺れた経験でした。
また、フィリピンには「ピナツボ火山」がありますが…私達が近くを通った直後…噴火しましたショック!
ホテルに帰ってニュースを見たとき、「あと数時間、行動が遅れていたら私は死んでいた」と思いましたあせる

当時の私のノートには、こう書いてあります。
「いずれはフィリピン救済のプログラムなども考えなければならないのでしょうが、私はまず家庭を見て、将来出来るであろう彼氏ドキドキや将来の旦那さん、出来れば子供、を見て、なにか仕事もしたいし…やりたいことがたくさんあるので、いつかもっと広い世界を見ることが出来る時のために…このフィリピンでの体験を、50年以上は覚えておかなければならないと思います」

…だ、そうだにひひ
長々ご静聴(笑)ありがとうございました音符ま、今は家庭を持ち、仕事をし、自閉症の息子を右往左往しながら育てておりますにひひ
んじゃっ(^o^)/