フィリピンで② | 自閉症の息子と生きてみた(≧∇≦)

自閉症の息子と生きてみた(≧∇≦)

広汎性発達障害の息子と、八ヶ岳山麓で暮らしています。音楽を仕事にし、主人はずっと海外住みなので、ほぼシングルマザーです。嵐、ニノ、にのあいをこよなく愛しています♡2024年4月〜子宮体癌闘病中。


で、「マザーテレサホーム」に行った時の経験にうつりますニコニコ
そこには「近い将来、死を約束された老人や孤児」が、たくさんいました。
その人達と握手をしているうちに、自然に涙が出てきました。
骨と皮ばかりしかない老人が、私に「please give me one peso(私に1ペソ下さい)」と言ってきました。…1ペソって、当時日本円にして5円、フィリピンの価値にして50円ですあせる
でも私は、添乗員さんから「お金をあげてはいけない」と言われていたので…可哀想でも彼らには“握手と笑顔”しか与えられませんでしたクローバー
…孤児が収容されている病棟へ行くと、「今朝亡くなった、という赤ちゃん」を抱いた日本人がいました。
彼女は泣いていました。しかし、亡くなった赤ちゃんは、彼女の子供ではなく、彼女は「日本で音楽の教師をしていましたが、フィリピンに来て孤児達の母親代わりになった」と言っていましたクローバー
「1週間に、6人もの子供たちが天国に行ってしまいます」といって、“我が子のように慈しんできた赤子の遺体”を胸に抱いて、彼女は泣いていました。
その赤ちゃんは、栄養失調のため、まるで子犬のように小さな体でした。

…子供たちと別れる際に、ひとりの小さな男の子が、私の手からハンカチを盗って、すばしっこく逃げて行きましたあせる
そのハンカチは、その子にあげることにしましたが、その子が後で先生に叱られなかっただろうか、と心配になりました。
他にも子供たちに、私達が子供たちのために、と持っていった“服やお菓子”を、ちょっとしたスキに盗まれてしまい、そのことを通して私は、
「子供までもが犯罪を犯さなければ生きていけない国、フィリピン」の貧困をまざまざと見せつけられた思いでしたクローバー

続くよん音符